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SEIANOTE

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「SEIANOTE(セイアンノート)」です

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明日も、明後日も。 生きていくためにつくり続ける

INTERVIEW

卒業から20年目

明日も、明後日も。
生きていくためにつくり続ける

 

 現代美術の登竜門ともいわれ、毎年各方面から注目を集めている「岡本太郎現代芸術賞」の岡本太郎賞を受賞したつんさん。受賞作《今日も「あなぐまち」で生きていく》は、つんさんが生きてきた証と営みが詰まった作品。
 「ずっと生きづらさのようなものを抱えていた」という幼少期から、「自分らしく生きていく起爆剤になった」という大学時代を経て、ひっそりと守ってきた“世界”を表現することで新しい景色が見えてきた現在までを辿り、作品に詰まったエネルギーの奥にあるものを教えてもらいました。

つんさん

美術家

1981年北九州市生まれ。2004年に印刷クラス(現イラストレーション領域)卒業。広告代理店に3年間勤務した後、退社し、作家として独立。熊本県菊池市にアトリエを構え、制作を行う。「第27回岡本太郎現代芸術賞」(2024年)で最高賞である岡本太郎賞を受賞。2024年夏には宇城市不知火美術館にて個展「つん 今日も『あなぐまち』で生きていく」を開催。


作品は自分を救うための行為の蓄積

photo by Tomoki Okamatsu


 2024年2月、川崎市岡本太郎美術館で行われた「第27回岡本太郎現代芸術賞展」。展示室に足を踏み入れてまっさきに目に飛び込んできたのは、天井にまで届きそうな巨大な塔。その高さ4.5m。近づくと、それは段ボールでできた「団地」が構成する「まち」で、800室もある団地の部屋に入居しているのは、鉛筆や消しゴム、マニキュア、石ころなど身の回りの「もの」たち。
 これが、「第27回岡本太郎現代芸術賞」で岡本太郎賞を受賞したつんさんの作品《今日も「あなぐまち」で生きていく》。小さな住人たちには、それぞれ住民名簿があり、思わず「ふふっ」と微笑んでしまうエピソードが小さな絵本のように描かれています。


岡本太郎賞と、来館者の投票によるオーディエンス賞も受賞した《今日も「あなぐまち」で生きていく》(2024年/450×400×250cm/段ボール、ジェッソ、アクリル絵の具、アクリル板、レジン、色鉛筆、防水材、水彩用紙、木材、ボンド、プラ板、毛糸、折り紙、糸、コピー用紙、石塑粘土、ホッチキス、建築模型用パウダー、布、イレクターパイプ、メタルジョイント、澱粉糊、ワイヤー、フローラルテープ、ボタン)。[写真1枚目/第27回岡本太郎現代芸術賞(TARO賞)展示風景(川崎市岡本太郎美術館、2024年)]

 ひと部屋ずつ収められている住民名簿を夢中で読みながら、ふと見上げれば、はるか頭上にもたくさんの部屋と住人たち。住民名簿はすべて手描きで手製本、段ボール製の団地も1棟ずつ細かなところまで作り込まれ、住人たちはそれぞれ個性的なフォルムと愛らしい表情。――これが800部屋分!? 作品のスケールの大きさのみならず、細部から溢れ出るエネルギーが見るものを圧倒します。


  実はつんさん、10年前からこの「あなぐまち」と名付けた「まち」をつくり続けていました。「あなぐまち」は、「あたまのなかの、ぐたいてきなまち」に由来し、つんさんが子供の頃から心のなかで大切にしてきた世界だと言います。
「私には、子供の頃からすべてのものが生きて見えているんです。2歳のときから、母親と散歩をしていても、石ころや雲と会話していたらしくて。でも、そのことは大人から“自分の中だけにとどめておくんだよ”と言われて誰にも話せず、閉じ込めていました。自分のなかでひっそりと生活を共にするというか。世の中とのギャップのようなものをすごく抱えながら生きるなかで、石ころや鉛筆と会話することで癒されながら大人になったんです。《今日も「あなぐまち」で生きていく》は、作品という意識はありません。呼吸をしなければ生きられないのと同じで、ただただ、自分を救うために息を吸って吐くように生まれていったものなんです」


《今日も「あなぐまち」で生きていく》[写真1枚目]「くつした」や「バランスボール」などの「もの」だけでなく、「しぼうかん」や「もんがいふしゅつのレシピ」など“かたち”を持たないものも「あなぐまち」に住んでいる。[写真2枚目]1部屋に1冊収められている住民名簿。[写真3枚目]それぞれの団地も個性的。団地のまわりには段ボールの草花が生い茂る。[写真4〜5枚目]「ものが生きて見えるので、制作すると出てしまう段ボールの切れ端も、私にとっては全部いのち。捨てられません」とつんさん。段ボールの切れ端を溶かし、新しいかたちを与えられた“赤ちゃん”も「あなぐまち」の住人。


 「あなぐまち」はいわば、すべてのものに魂が宿るアニミズム的な世界。誰にも言えないけれど、まわりの人たちも自分と同じように「もの」が生きている世界が見えているのだと思っていたつんさん。そうではないと知ったのは、今から10年前の32歳のとき。
「子供の頃からみんなには見えていない世界のことを話したりするので、嘘つきとか、キャラをつくっていると思われたこともあります。ずっと『みんなにも見えているはずなのに、どうしてそんなに否定するんだろう?』と疑問に思っていたし、苦しいこともありました。でも、32歳のときにようやく『あっ、(みんなには)見えていないんだ!』と理解して。例えば、子供の頃はサンタクロースの存在を信じていますよね? なのに、まわりから『サンタクロースはいないんだよ』って言われて、その存在が消えていく。ただ、私がみんなとは違う世界を見ていたことに気づいたのは、もう誰の影響も受けない30歳を超えたいい大人になってから(笑)。これは揺るぎない自分らしさの源と捉え、突き詰めていこうと思いました」


自分らしく生きていいと はじめて思えた大学時代

 つんさんは、絵本作家を志して成安造形大学の印刷クラス(現イラストレーション領域)に進学しました。小・中・高校と、なかなか家族や友達に思いが伝わらず、どこかこの世界とのズレや違和感を感じていましたが、はじめての環境を大学で経験することになります。
「高校2年生のとき、ポジティブな意味で友達に『つんちゃんって変わってるよね』って言われたのを機に『“まわりとなんか違う”のは個性なのか!』と、それまでとてもネガティブに捉えていたことが、少し自信になりはじめていたんですね。そして成安造形大学に来てみると……もう、”まわりとなんか違う”個性的な人だらけ(笑)。誰も私のことを否定しないし、私がよくわからないことを言っていても話を聞いて、受け入れてくれた。はじめて全肯定される環境に身を置いたことで、自分らしく生きていいんだと、背中を押されたような気がします」




 成安造形大学を選んだのは、ひょんなことから。中学の修学旅行で東大寺の大仏に魅了されたつんさんは「時間を気にせず、この大仏をじっくりと見られる環境に身を置きたい!」と、まずは関西の大学への進学を決意。数ある関西の美術系大学の中で、成安造形大学をすすめたのは通っていたアトリエの先生だったそう。
「少人数制だからマイペースな君に合ってると思うぞって。あと、アトリエを卒業した先輩たちが夏休みに教えに来てくれるんですけど、そこに成安造形大学に進学した人がいて『成安、いいよ』と。すごく仲良くなって、入学後も本当によくしてもらって、1年生のときから4年生の他クラスの教室に遊びに行ったり、卒業制作を手伝わせてもらったりしました。その人のおかげで、他学年の友達も多いですし、いろんなクラスの人と仲良くなれました」


大学3年生のときに生まれた「きいぼう」(写真右)。宇城市不知火美術館での個展『つん 今日も「あなぐまち」で生きていく』(2024年)では、つんさんの作品に度々登場する「チュッチュ」(写真左)とともに仲良く並ぶ。左:《チュッチュ 大》右:《きいぼう 大》(いずれも2024年/木材、スタイロフォーム、シュロ縄、石塑粘土、ジェッソ、アクリル絵の具、マットバーニッシュ)。

 ただ、大学時代もまだ「あなぐまち」の存在は、つんさんの心のなかに大切にしまわれたままでした。周囲が次々に作風を確立していくなかで、なかなか思うような作品が生み出せず、焦りを感じていたつんさんでしたが、大学3年生のとき「きいぼう」が誕生します。「ようやく頭の中でイメージしていた子がかたちになって、やっとこれで絵本が描けると思いました」。


  卒業後は現在も暮らす熊本の広告代理店にデザイナーとして就職したつんさん。これまで呼吸をするように心の拠り所としてきた「つくること」が、あまりにも業務が多忙すぎてできなくなってしまいます。
「社会的な信用を得たかったので、何があっても3年間は辞めない。アーティスト活動は3年後にする、と決めていました。でも、家と職場の往復だけの日々が本当に苦しくて苦しくて……。そんなときには、仕事終わりにバイクで今、アトリエがある菊池(熊本県菊池市)に来ていたんです。ただただ、菊池の自然のなかを走るだけですごく癒され、いつかそんな菊池に恩返しをしたいなと思っていました」


つくることで辿り着いた 新しいステージ

 3年間勤めた広告代理店を退社し、いよいよ、つんさんのアーティスト活動がスタート。1年をかけて作品を制作し、個展「あしたも お日さま でてこい でてこい 2008」(cifa-cafe/岡山/2008年)で作家としての再スタートをきります。しかし、つんさん自身は平面作品を制作する苦しさと闘っていた時期だったようです。
「当時は、絵本作家になるのなら平面でないとダメだ! という思い込みに縛られていたのだと思います。7年間くらい、ずっと平面作品を制作していたけれど、二次元で表現できることの限界を感じていました」




  ターニングポイントとなったのは、熊本市の河原町繊維問屋街で開催された「河原町アートアワード2014」。公募の多くは、平面や立体などの応募規定がありますが、「河原町アワード」はノンジャンル。規定がなく、自由な公募だったことが、つんさんの新しい一歩につながります。
「もしかしたらまた昔のように否定したり、批判されるかもしれないという怖さはあったけれど、記念に一度、自分の宝物である『あなぐまち』の仲間たちをみんなにお披露目しようと思ったんです。評価される・されないではなく、自分の仲間たちをみんなも見えるかたちにして残しておけば、私もまたその子たちを見て癒されるかなという気持ちでした」


[写真1枚目]つんさんがはじめて「あなぐまち」の存在を誰もが“見える”かたちにした「河原町アートアワード2014」熊本マンガミュージアムプロジェクト 橋本博賞とイム・ボラム賞の2賞受賞作《お日さま団地》(2014年)。「どうやってこの話を思いついたの?」と聞かれ、自分以外の人には「あなぐまち」が見えていないことを知ることに。[写真2〜4枚目]「菊池アートフェスティバル」(2016年)での展示風景。団地にはそれぞれ名前がついており「お日さま団地」は最初に制作したもの。ちなみに、この展示の3年後、つんさんはここにアトリエを構えることになる。(写真2〜4枚目photo by Hideki Shinagawa)

 40年もの間、ひっそりと、ただひとりで守ってきた「あなぐまち」。それを誰もが「見える」姿にするための行為が、つんさんを「平面でないとダメだ!」という思い込みから開放したとも言えます。このときの作品が、後に「第27回岡本太郎現代芸術賞」で岡本太郎賞を受賞する《今日も「あなぐまち」で生きていく》の原型になりました。
 最初は長屋のように横に並んでいた100部屋は、1年後の「熊本アート百貨店」(熊本県立美術館分館/熊本/2015年)では縦に積み上がって団地の形態に。そして3年後の「第29回熊本アートパレード」(熊本市現代美術館/熊本/2018年)でアートパレード大賞(熊本市賞)とオーディエンス賞をダブル受賞する頃には、500部屋になっていました。


2022年12月と2023年7月の前・後半にわたって行われた個展「つんとあなぐまち展」。冬と夏の芝の色が違うことに疑問を持ったことから生まれた作品。「子供の頃から工作は好きで、立体に対する意識も強かったと思います。せっかちな性分だし、子供の頃の工作の延長のような感じなので、自分の思いがダイレクトに伝わってかたちになることが心地良い。段ボールや粘土を素材にしているのは、そういった理由からです」。(photo by Tomoki Okamatsu, Keisuke Yamauchi)

 個展「つんとあなぐまち展」(Mori no ki/熊本/2022年、2023年)では、作品の世界を絵本にも展開。絵本作家を目指してもがいていた時代には描けなかった“自分らしい表現”を、ようやく掴んだ瞬間でした。
「平面が向いていないから諦めていたのに、立体でつくったものを見ながら描いてみたら『つんらしい、個性的な絵だね』と言ってもらえるようになって。遠回りしたからこそ、絵本でも自分の表現をできるようになりました」


個展「つんとあなぐまち展」(2022年、2023年)から生まれた絵本は、12月の前編『きいろと きいろの ごたごた』(写真奥)と7月の後編『あべこべの庭』の2冊。芝生のあちこちに配された小さな作品たちはどれも絵本に登場。つんさんが見ている世界を絵本で追体験できる。


そんなに頑張らなくても あしたも、お日さまは出てくる

  現在、つんさんは、水と緑に囲まれた菊池市にある「菊池龍門アーティスト集合スタジオ(旧龍門小学校)」で制作を行っています。この地域は、つんさんが会社員時代、心身ともに疲れ果てたときに癒されていた場所でした。
「2016年と2017年に廃校になった旧龍門小学校で開催された『菊池アートフェスティバル』に誘われたことが、再び菊池に戻ってくるきっかけになりました。本当に縁だなと思います。ここにいるとすごく心が穏やかになるし、大好きな場所。自然が多くて、落ち着くところが、ちょっと大学の頃に過ごしていた滋賀にも似ている気がします」


山道を抜け、カーブを曲がると緑に囲まれた菊池の集落が目に飛び込んでくる。中央の旧龍門小学校がつんさんのアトリエ。ここが会場となった「菊池アートフェスティバル」に参加したことが、入居のきっかけとなった。多くの素材や道具、制作中の作品が置かれたアトリエは、まるでもうひとつの「あなぐまち」のよう。


 2024年7月には、宇城市不知火美術館(熊本)で個展が開催されました。個展タイトルは、日本語では岡本太郎賞の受賞作と同じく「つん 今日も『あなぐまち』で生きていく」ですが、英訳は「I am always here in the ‘ANAGUMACHI’ with you」。岡本太郎賞受賞作にはなかった「with you」の単語には、つんさんの心情の変化が表れていました。
「作品を発表したことで『すごく癒された』とか『元気づけられた』というメッセージをたくさんいただいたんです。それまでは『自分だけのもの』『自分を癒すもの』という感覚でいたけれど、少し変わってきました。今回の個展タイトルの英訳に『with you』を採用したのは、『あなぐまち』は目に見えないだけで、その存在を知っている人も、知らない人も含めて、“みんなのそばにいるよ”という思いから。つくることは、評価されてもされなくても変わりません。これまでと同じで、呼吸をするようにつくり続けると思いますが、”誰かに届ける”という、これまでは見えなかった新しい景色が見えたように思います」


[写真1枚目]2024年7月13日(土)~ 2024年9月16日(月・祝)宇城市不知火美術館にて開催された個展『つん 今日も「あなぐまち」で生きていく』。展覧会を鑑賞後、美術館の建物を振り返ると、岡本太郎賞受賞作《今日も「あなぐまち」で生きていく》がふと頭をよぎる。[写真2〜3枚目]「あなぐまち」の全住人のドローイング800枚が、展示空間の壁面をぐるりと覆う。[写真4]《ナッツファクトリー》(2021年/段ボール、石塑粘土、木材、プラ板、針金、建築用パウダー、木工用ボンド、アクリル絵の具、防水材)[写真5枚目]立体作品をつくってから平面の絵本に落とし込む手法で制作するつんさん。個展では、立体作品と絵本原画が向かい合うように展示された。

 誰とも共有できない、理解されないと思っていた世界を、あちこちにぶつかりながらも「つくる」という営みによって守り続けたつんさん。それは、作家としての揺るぎないアイデンティティーになりました。そんなつんさんが、学生時代の自分に声をかけるとしたら――?
「“そんなに頑張らんでいいよ。人生は一度きりなんだから、楽しもうよ”って言ってあげたいです。当時の私は、さまざまなプレッシャーを感じて、頑張らない自分には価値がないと思っていたし、人生をコントロールしようとしていました。でも、目の前で起こることに『良い』も『悪い』もなくて、それに意味づけをするのは自分なんですよね。人は、そこに存在しているだけで価値があるし、想定外に起こることも『これが最善なんだな』と思って自然の流れに身を任せれば、生きやすくなる。そんなことに最近気がつきました」