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SEIANOTE

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在学生の制作活動から卒業後の活動までを綴る
「SEIANOTE(セイアンノート)」です

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セイアンアーツアテンション14「Re:Home」レポート 前編

REPORT

【キャンパスが美術館】展覧会レポート

私たちの生活を支える「家」を多面的に考える
セイアンアーツアテンション14「Re:Home」
前編

「セイアンアーツアテンション」って何?

「芸術大学のキャンパス=美術館」という発想から、成安造形大学の回遊式美術館『キャンパスが美術館』が定期的に企画運営している総合芸術祭です。毎年、現代において注目すべきテーマを設定し、キャンパス全体を活用しながらアートやデザインの作品展示が行われ、学内を歩きまわりながら作品を楽しむことができます。
15回目を迎えるセイアンアーツアテンションは「Re:Home」。学園創立100周年記念事業の一つとして開催され、私たちの生活を支える「家」をさまざまな角度から見つめる展覧会となりました。

ミノムシと一緒に作られた
色鮮やかな「Home」



ギャラリーアートサイトに展示されたAKI INOMATAさんの作品は、ミノムシとミノ(巣)が主役となります。
入り口近くに飾られている標本画はミノムシの生態が表されており、オスはミノ蛾、メスは白い成虫となる成長の過程が描かれています。
ブランド服のお店のように美しく飾られた写真や洋服、花瓶に生けられた抜け殻のミノ。それらと向かい合わせるように置かれた鏡に映るミノは、まるで試着した洋服を確認する女性のようにも見えます。また、映像作品の中には、実際にミノムシがペレットの中で小さな布を寄せ集め、ミノを作る様子も上映されていました。
自ら吐き出した糸でハギレを重ね合わせミノを作るミノムシの姿は、おしゃれをする女性のような愛らしさも感じられました。

「故郷=家」の自然や
信仰をモチーフに描かれる抽象絵画



ギャラリーキューブに作品を展示するのは、故郷である三重県伊賀市島ヶ原で活動をする岩名泰岳(洋画クラス卒業生)さん。
ご自身が描く絵画作品だけでなく、絵画の基となるエピソードや島ヶ原で発見された絵ハガキや文章など、さまざまな資料が展示されていました。
また、ギャラリーの奥には、2013年に地元の方と結成した芸術集団<蜜ノ木>の最初の看板がありました。これと同じような形をした看板がギャラリーの外にも5枚展示されていました。しかし、ギャラリー内に展示された看板とは制作者が違い、この5枚の看板は、新たな移住者や外部の関係者がこの展覧会のために新しく制作したものでした。
時間とともに関わる人々も移り変わり、変化してゆくコミュニティの中で、さまざまな出来事があったことを想像できます。

母と娘の関係や
住宅の一部から垣間見る「Home」



開放感あるライトギャラリーには、2名の作家さんの作品が展示されました。
入口すぐは、松井沙都子さん。壁・床・光を組み合わせ、住まいのイメージを浮かび上がらせるインスタレーション作品です。
松井さんの作品には、住宅によく使われる材料の中でも、比較的安く、大量に作られ、全国的に使われている材料が使用されています。大きな作品ですが、実際に近くで見ると壁紙もカーペットもどこか見覚えがあるものばかり。例えそれが自分の家で使われていなかったとしても、誰かの家やどこかの施設で使われていた思い出と重なり、どこか懐かしさのようなものを感じられるはずです。作品は室内の一部が切り取られたものですが、観る人が空間やさまざまな風景を想像できるように制作されているそうです。



同じギャラリーの奥には、ふなだかよ(ファイバーアートクラス卒業生)さんの写真作品が見られました。
正面に展示された右側2枚の写真は、母親からの愛情を料理に例え、お皿からこぼれ落ちるほどでないと不安だった作者の心理が表現されています。左側2枚の写真は、母親が大切に育てた満開の花を全て切り、生け花にしたもの。「娘の為なら…」と大切なものを差し出す母親の本心は本人にしかわかりませんが、美しい花には愛情の美しさと切なさが映し出されているのかもしれません。
また、奥の壁面には、ふなださん自身が母親となり、生まれてきた娘が成長して使わなくなったアイテムを落下させて撮影された写真。よく見ると哺乳瓶などのカタチが見えてきます。成長の喜びとともに、失われていくことや忘れてゆく喪失感を表現しているそうです。

ギャラリー全体を見渡すと、とても広い「家」の壁に美しい写真が飾られているかのようにも感じます。しかし、作品の意図をくみとると、表面的な美しさとは正反対の生々しくてリアルな人間の感情や生活も見えてきて、この空間自体が現代の「家」のようにも感じられます。太陽が傾く頃、ギャラリーへと差し込む光が作品を照らし、より一層、不思議な感覚を覚えました。

後半へつづく

経験やご縁を大切にしながら、どんな状況下でも絵を描き続ける

INTERVIEW

卒業から23年目

経験やご縁を大切にしながら、
どんな状況下でも絵を描き続ける

地元である京都府亀岡市で絵画を中心に、彫刻や版画、オブジェなどの作品を制作しながら絵画教室『のびなびあーと』を営むベリーマキコさん。
自分の中に湧き上がってくるものを絵で表現している彼女の原点は、生まれ育った里山での生活にあると話します。大学で日本画を学び、経験やご縁を自分の表現に変えながら日々の営みの一つとして絵を描き続ける、生きる力にあふれた作家のお話です。

ベリーマキコさん

画家

1975年京都府亀岡市生まれ。1998年成安造形大学造形美術科日本画クラス卒業。同年、同クラス研究生に。修了後、米国メトロポリタン美術館(ニューヨーク)の東洋美術修復室に勤務。2008年に帰国し、翌年には幼児から高校生の感性を磨く『のびなびあーと』を開講。2012年「第四回 京都 日本画新展」大賞受賞。京都日本画家協会会員。


日本の生活に違和感を
感じていた学生時代

大学卒業後、毎年展示を行っているベリーさん。取材時も今治市大三島美術館で2021年8月7日(土)〜12月26日(日)まで開催の企画展『ベリーマキコ・石橋志郎 ふたりの視点 Their point of view from KYOTO』の最中でした。



[写真1枚目]企画展『ベリーマキコ・石橋志郎 ふたりの視点 Their point of view from KYOTO』より。《響》(2021年/182.5×568cm/岩絵具、水干絵具、墨、膠、準雲肌麻紙/撮影:麥生田兵吾)。ベリーさんの父の故郷である大三島と自身が生活をした亀岡とアメリカの風景を融合し、6枚のパネルに描いた歴代一番の大作。「父の生まれた大三島で展示ができ、親戚にも作品を見てもらえてうれしいです」[写真2枚目]作品部分。

 おもに日本画材を用いた絵画を制作しているベリーさんの描き方はとてもユニークです。6枚のパネルからなる《響》は、1枚ずつ天地をひっくり返したり、全パネルを180度回して描きながら進めていったといいます。作品完成の1週間前まで天地は逆で描いていたそうです。

 「コントロールが効いたものがあまり好きではないので、つまらなくなっているところはないかを探しながら描いています。絵の具やお水などが自分の手を離れてどう表現してくれるのかを大事にしていて、お水に絵の具が広がって偶然できたおもしろいところを見つけて絵にしていきます。後は、あえてうまく線を引かないために長い筆を使ったりもするのですが、線から刺激を受けて手が進むので、そうすると絵と対話をしているような感覚になります」


[写真1枚目]自作の筆を使って描くベリーさん(写真/清水泰人)。[写真2枚目]アトリエにはさまざまな長さの筆が並んでいる。「長い筆を使って描くのは私くらいだと思っていたら、知人が(アンリ・)マティスも使っていたと教えてくれました」

日本画という枠にとらわれない自由な作風の背景には、里山で育った幼少期の体験と成安造形大学の先生からもらった言葉にあると言います。
「絵は小さいときから描いていて、日本画の絵の具をつくるときのように川や山で石を砕いて遊んでいました。自然を謳歌していた子どものときの経験や感触が今も制作に大きく影響しています」
大人になった今も子どもの時の感覚を持ち続けることは難しい。大抵は経験を重ねて行くなかでアップデートされていくけれど、ベリーさんは子どもの頃と同じように、身近にある日常の暮らしを真摯な眼差しで見つめています。


[写真1枚目]《黙坐》(1998年/180×276.3cm/岩絵具、水干絵具、墨、アルミ箔、膠、雲肌麻紙)。成安の卒業制作ではベリーさんの原風景である家の近くに盛ってあった土の塊と田んぼを描いた。[写真2枚目]左《エスカレーターの日々》(1999年/183×71cm/岩絵具、水干絵具、墨、膠、雲肌麻紙)。右《回転寿司》(1998年/113.5×53cm/岩絵具、水干絵具、墨、膠、雲肌麻紙)。

 自然と絵が大好きだったベリーさんは、亀岡高校の普通科美術・工芸専攻を卒業し、成安造形大学の日本画クラスへ進学。大学時代の作品を振り返ると「今見ても暗い絵ですね。明るく抜けている感じではない」と語ります。

琵琶湖の風景を愛でながら大学生活を満喫していたけれど、日本という国に違和感を感じていた学生時代。一人旅をした東南アジアの生活を肌で感じたことで、苦労することなく生活できることへの沸々とした思いが色彩に表れているのがうかがえます。

「エスカレーターをよく描いていました。乗ったら勝手に運ばれていくことに日本のおもしろくなさを感じていたんですよね。回転寿司もお寿司がレーンで運ばれて同じところをぐるぐる回るところや、お店の人としゃべらずに食べられてしまうことにも違和感がありました」

人間臭いものが好きだというベリーさんには、便利であるそれらが豊かには感じられませんでした。暗くておどろおどろしい絵を描く娘をみて家族からは心配されていたと言います。
「ありがたかったのは成安の先生方が寛大で、どんどん自分の絵を描いて若いときに灰汁や膿を出したらいいと言ってくれたことです。自分を受け入れてもらえたのが嬉しかったですし、その過程を学生生活のなかで経験できたことは、今も絵を描き続けていることにつながっていると思います」


日米で個展を開催しながら
修復師として働いたアメリカ生活

 卒業後、成安の研究生を終了したベリーさんは約10年渡米することになります。
「研究生を終えたときに、恩師であり二条城の復元模写をされている大野俊明先生から、アメリカで美術館のコレクションの修復の仕事があるから行ってみないかと。そのとき京都国立博物館で修復のアルバイトをしていたのと、私が英語や海外に興味があるのを知っていて声をかけてくださったのだと思います。即答で“行きます”と言いました」

最初はニューヨークのメトロポリタン美術館で東洋美術の修復を2年経験。表具師さんが絹や紙を修復したところに、目立たないよう色を付ける補彩という役割を担当しました。大事な美術館のコレクションの最後の修復作業のため、常に責任を感じながら勤しむ日々は苦しかったと言います。

「自分の作品制作とは正反対の繊細な作業なので、向いていないのがよくわかりました。修復室には日本人の方と日本語がペラペラのアメリカ人の方がいたのですが、職人の世界なので自分一人でやっていかないといけない。常に緊張感があってとてもしんどかったです」


[写真1枚目]左《勉強会》、中《子供》、右《6本のひも》。[写真2枚目]《Go_on_all_fours》(キャンパス、アクリル)。4つ足で這うイメージを描いたロサンゼルス在住時の作品。ヨーロッパを旅行したときに印象に残った赤いショッピングバッグを持つ人がモチーフに。今はロサンゼルスの友人宅に飾られている。

 仕事は大変だったけれど、ニューヨークでの生活は肌に合っていたというベリーさん。その後ロサンゼルスに拠点を移し、2003年に結婚。2004年にはアメリカで出産を経験します。ロサンゼルスでは修復の仕事、和紙屋さん、日本食屋さんで働きながら、育児、家事にと多忙な日々。そんな状況でもアメリカと日本の2拠点で個展を開催していたというから驚きです。


 アメリカでの生活を振り返るベリーさん。「大学ですごくお世話になった日本画の中野弘彦先生は、定期的に葉書を送ってくれていました。ずっと応援してくださっていたのは本当に心強かったです」

「子どもが寝てから絵を描いていました。変わった景色を見ると表現したくなるんですよ。アメリカでは箱に入れて日本に送れるよう小さい作品ばっかり描いていましたね。京都や東京のギャラリーに絵を送りながら、アメリカでは自分で絵をかついでギャラリーを巡り、気に入ってくださったところで個展をしていました。油絵やアクリル画が一般的なアメリカ人にとって、日本画のざらざらとした質感は新鮮だったみたいです」

描いていたのはアメリカの風景。はしごやひも、買い物袋はベリーさんの作品によく登場するモチーフです。ニューヨークやロサンゼルスの煌びやかなイメージとは違い、そこで暮らしていたベリーさんにしか描けないささやかな日常やさりげない風景は、国境を超えて受け入れられていきます。そして、表現することへの好奇心は加速し、エッチング(版画)をはじめたり、現地で手に入りやすいアクリル絵の具で描くことにも挑戦するなど、作品の幅を広げていく時期になりました。


作家活動だけでなく
アートを通じた教育にも注力

リーマンショックを機に、2008年家族で帰国し、亀岡で作家活動をリスタートすることになったベリーさん。翌年には絵画教室『のびなびあーと』を開講します。きっかけは当時4歳だった息子さん。亀岡の暮らしに馴染めるよう、一緒に工作をして友だちをつくる場所にしたいという思いからでした。数年間は児童館や文化施設で出前授業をしていました。同じように亀岡市内各所で英語を教えていた姉が、「一緒に事業をしよう!」と誘ってくれました。今の場所に教室を構え、『のびなびあーと』の継続を今も支えてくれています。


『のびなびあーと』でつくった作品や使用する道具がにぎやかに並ぶアトリエ。

 さらに『のびなびあーと』で培った経験を活かし、週末は各地でアートをテーマにしたワークショップの講師もやられています。今治市大三島美術館での企画展中には「ゴリゴリえのぐ」ワークショップを行いました。子どもたちに海で拾ってきた貝殻や珊瑚、石などを持ってきてもらい、それを日本画で使う胡粉や水干絵具のように鉢でつぶして絵を描く、ベリーさんらしいエッセンスが散りばめられた内容です。子どもたちは自分で拾った自然のものから生まれる色に感動していたと言います。

「ゴリゴリえのぐ」ワークショップの様子。

 ワークショップの内容はさまざまで、イベントに合わせて提案しています。例えば保津川下りのイベントでは、保津川下りを体験した後に保津川を描きました。子どもたちの遊び心をくすぐるポイントを熟知しているベリーさんの週末はワークショップで予定がぎっしり。絵画教室の他にもアトリエではベリーさんが講師の習字教室も週2回あり、自身の制作する時間を生み出すことが難しい状況になっています。それでも絵を描き続けられるのは、描くことが生活の一部であり、表現しながら生きていくことが自然体だから。どんな状況下でも作品を制作し続けられることをベリーさんは体現されています。


日本画ではなく
自分の絵を描いている感覚

無意識の中に湧き上がってくるものを描くベリーさんですが、はじめて意味を持たせて描いたのが、2012年の「第四回 京都 日本画新展」で大賞を受賞した《ソレデモヨガアケル》です。東日本大震災とご自身が死産を経験したタイミングが重なり、命と向き合いながら描いた作品。展示された美術館「えき」KYOTOで、多くの人の心を動かしたのは言うまでもありません。
その後は2016年に「第二回 藝文京展」で優秀賞を、2021年に「第8回東山魁夷記念日経日本画大賞展」で入選。日本画家として評価されていきます。


《ソレデモヨガアケル》(2011年/160×140.5cm/岩絵具、水干絵具、墨、色鉛筆、膠、高知麻紙)。

「画材は日本画のものを使っているのですが、日本画を描いているというよりは自分の絵を描いている感覚ですね。こうして賞をいただけることは本当にありがたいです。でも賞をとるためというよりは、出展すると作家の方と知りあえたり、絵を志している人と出会える機会になるので、新しい刺激がもらえることがモチベーションになっているかもしれません」


子どもたちに教えるときはベレー帽にエプロンスタイルのベリーさん。

 日本画の技法を磨きながら、伝統的な日本画の範囲に収まらない作品を生み出していく作家・ベリーマキコさんの道のり。決められたレールの上を歩むことでは味わえない、目の前に現れる階段を自力で一段一段登っていく人生をベリーさんは楽しんでします。そしてこれからもゆるやかな段や、急な段を登りながら絵を描き続けていくはずです。

「自分の好きな絵を描くだけなのでブランクはないですね。誰かに期待をされたり、人と比べるとしんどいかもしれないですけど、自分の絵を描いているので楽ですよ。でも毎日は息子のお弁当をつくったり、晩ごはん何にしようかなっていっぱいいっぱいですけど(笑)」



「仕事」と「制作」。“つくる時間”を積み重ねる2つの顔を持つデザイナー

INTERVIEW

卒業から5年目

「仕事」と「制作」。“つくる時間”を
積み重ねる2つの顔を持つデザイナー

グラフィックデザイナーとして、役場や企業などの建物内のサイン計画を仕事として手がける一方、WebサイトやSNSでは数々のオリジナルプロダクトを制作し、発表する辻尾一平さん。多忙な日々のなかで「仕事」と「制作」を両立する現在のスタイルのルーツは、大学生活の過ごし方にありました。

辻尾一平さん

グラフィックデザイナー

1992年大阪府生まれ。2016年にグラフィックデザインコースを卒業後、トラフ建築設計事務所、TAKAIYAMA inc.を経て、2019年に独立。フリーランスのグラフィックデザイナーとして、サイン計画や商品企画立案、ロゴデザインを手がける一方、自主的な制作を続け、WebサイトやSNSでの発表を続ける。
>>Tsujio design


言葉は不要。ひと目でわかる
デザイナーの仕事と自主制作の作品

 「珈琲」「牛乳」の文字が刻まれた、一見シンプルなグラス。そこにミルクを注ぐと「牛乳」、コーヒーを注ぐと「珈琲」、そしてカフェオレ(珈琲牛乳)なら両方の文字が浮かび上がります。注いだ瞬間、目の前で小さなイリュージョンが起こるこのグラス「Foglass」をつくったのは、グラフィックデザイナーの辻尾一平さん。


2020年に制作された「Foglass」。1枚目から4枚目の写真は、すべて同じグラス。注ぐものの色によって、グラスの文字が消えたり、出現したりする。オンラインストア「TOAL shop」にて販売され、話題となった。

 辻尾さんの主な仕事は、ロゴデザインやサイン計画。「サイン」とは、施設を訪れる人が迷うことなく目的の場所にたどり着けるよう表示するもののこと。例えば、建物のフロアマップやトイレマークなどのピクトグラム、スペースを色やアルファベットで分類し、考えなくても「見ればすぐわかる」ナビゲーションの役割を担います。どんなビジュアルにするかはもちろん、設置する大きさ、高さ、素材なども含め、空間の中で情報をデザインするのです。


宮城県山元町役場のサイン計画(2019年/TAKAIYAMA inc.での担当案件)。


島根県邑南町にある、「いわみ温泉 霧の湯」のロゴ、サイン計画を担当(2021年)。

 最初に紹介した「Foglass」は、実は仕事ではなく、辻尾さんが自主的に制作したプロダクト。ほかにも、組み立てて一輪挿しとして飾れるレターセット「hanategami」や、光の屈折を利用して、花を挿すとキュビズムの絵画のように見える花器「Cubism flower vase」など、どれもひとひねりある作品が、辻尾さんのWebサイトやSNSにずらり。その数なんと10種以上。


[写真1枚目、2枚目]2019年に制作した「hanategami」は、クラウドファンディングで支援を募り、商品化。オンラインストア「TOAL shop」で発売中。[写真3枚目、4枚目]2020年に制作した「Cubism flower vase」。花器の中と外で植物が異なる表情を見せる。

「公開している作品は、ここ2年くらいの間に仕事の合間をぬって制作したものです。自分では、仕事と自主制作とは切り分けています。仕事だと、いろんな人が関わりますし、施工や機能など現実的な問題もクリアする必要があるので、アイデアよりは条件の中でクオリティを重視して実現する一方、自主制作はアイデア優先。『これ面白いんじゃないかな?』とピュアに思うものをかたちにしています」


作品はどこから生まれる?
ひとりきりの制作秘話

 ここでふと湧き上がる疑問がふたつ。ひとつは、独特の仕掛けを持つプロダクトたちが、どのように生まれるのか? もうひとつは、多忙な仕事の合間で自主制作を続けられるものなのか? まずひとつめの疑問。どこから着想し、どうやってつくられているのか、辻尾さんに尋ねてみると……。
「アイデアはポンと出てくるというより、気になった“現象”をスマホにメモし、作品制作のときに見返して、A4の用紙にアイデアをバーっと書き出していきます。例えば、モニターの電源を切ると、意外と画面にホコリがついていることに気が付いたりしませんか? そういった“現象”のメモをもとに『グラスの色、飲み物の色、印刷の色で、消えたり出現したりする効果を出せるんじゃないか?』と考えていきます」

[写真1枚目]辻尾さんがスマホにメモしていたものの一部。壁の凹みや部分的に劣化した鉄板、雨でにじんだ看板の文字、絵画の額のような窓など、何気ない日常の中からアイデアのヒントをすくい取る。[写真2枚目]メモをもとに膨らませたアイデアスケッチ。

 “現象”から発想する辻尾さんの作品は、アイデアを言葉で説明しても伝わりにくいもの。目に見える「かたち」になってはじめて「あ!」と、人を惹き付けるインパクトと“現象”の共有が可能になります。
「『Cubism flower vase』のように、特殊な効果を持つものは、モックアップ(試作)をつくってみないとわからないので、実際につくります。これは自分で型から制作して、樹脂を加工してつくりました。自分で完成形がイメージできるものは、素材を見つけて撮影し、写真を合成して制作するものも多いですね」


[写真1枚目]「Cubism flower vase」制作過程。型から制作し、樹脂を流し込み、研磨まで自身の手で行う。[写真2枚目]「Foglass」の試作。縁取りとベタ塗り、2種類の「珈琲」の文字で、狙った効果が出せるものを探る。

 とはいえ、辻尾さん自身「仕事8:自主制作2の割合が理想」と語るように、制作は仕事とは別のところにあります。仕事にはクライアント(依頼主)と納期が存在しますが、誰かに依頼されているわけでもなければ、展覧会のように発表の締め切りもない制作をコンスタントに続けられる理由はどこにあるのでしょう?

「SNSには制作物しかアップしないようにしているんですけど、前回アップした日から間があいてくると『そろそろ何かつくらないと』という気持ちになるんです。自分のペースを崩さないためにも、できるだけSNSに上げるようにしています。それに、見てくれる人が増えることは単純に嬉しいですし、気が引き締まります。こうした制作のペースも、メモ魔になったのも、手を動かして自分でつくるようになったのも、遡ればスタートは大学の卒業制作だったような気がします」


他領域の教室に自分の机まで確保!?
「つくること」が習慣化した卒業制作

 辻尾さんが「現在の制作のルーツ」と語る卒業制作の作品は、50音順に並んだ引き出しの中ひとつひとつにプロダクトが収められた『コトバのオキバ』。
「例えば、『す』の引き出しにはスプーンとプールのはしごを組み合わせた『スプール』、『に』には『虹』の文字を7つのパーツに分解し、ある方向からのみ重なって見える『ニジのモジ』など、それぞれの言葉から発想したプロダクトを50音でつくりました」

卒業制作作品『コトバのオキバ』(2016年)。[写真2枚目]プールのはしごの先がスプーンになっている『スプール』[写真3枚目、4枚目]虹と同じように7色のパーツからなる『ニジのモジ』。[写真5枚目]「な」の引き出しに収められた『ナイスキャンデー』。[写真6枚目]銭湯の入浴券を石鹼にレーザーで刻印した『石券』。

 数もさることながら、驚くのはプロダクトのクオリティ。作品を展示する引き出しもすべて辻尾さんが制作したそう。
 「この引き出しも全部、造形ラボ(木工・樹脂・塗装作業を行うための学内専用施設)で教えてもらいながら、ずーっと木を削ってつくってました(笑)」


『コトバのオキバ』の展示風景。作品を収めた引き出しも、棚も、すべて辻尾さんがデザインし、制作。

 成安造形大学には、プロダクトやインテリアを学ぶ「空間デザイン領域」があります。卒業制作の作品を見ると、一見、辻尾さんは「空間デザイン領域」卒業なのかと思いきや、入学したのも、卒業したのもタイポグラフィやパッケージデザイン、広告などを主に学ぶ「グラフィックデザインコース」です。
「入学する頃はまだ知識がなくて、『いちばん食いっぱぐれがなさそうなのは、グラフィックデザインかな?』という程度で、漠然としていたと思います。入学後のひとり暮らしがきっかけで、インテリアや空間に興味を持ちはじめ、空間デザイン領域の授業を受けて、さらに詳しく学びたいなと。それで2〜3年生の頃、大学に通いながら社会人が通うインテリアの学校にも週1回、1年間通ったりしていました」

 グラフィックデザインコースに属しつつ、他領域の授業でも学び、大学3〜4年生の頃には、ちゃっかりと空間デザイン領域の教室に自分の机を確保し、制作をしていたという辻尾さん。成安造形大学では入学後の転領域も可能ですが、その必要性はなかったと言います。
「基本的にどの授業も受けようと思えば受講できる環境なので、空間デザイン領域への転領域は考えてなかったですね。自分の軸はグラフィックにあったので、『将来はインテリアの仕事をしよう』とも考えてなかったですし。それよりも、興味のあることを時間があるうちに学んでおきたかったんです。好きなことなので、学んでおいて損はないと思っていました」




 大学とインテリアの学校の双方から出される課題の制作に手一杯だった時期が過ぎると、いよいよ卒業制作がスタート。4年生の1年間は、50個近いプロダクトをひたすら制作する日々でした。
「グラフィックデザインは、パソコン1台あればどこでもできてしまうので、固定された“自分の場所”を必要としないんですけど、僕の場合は作業する机がないと試作がつくれないので、他領域の僕に“自分の場所”をつくってもらえたのは嬉しかったです。何が良いかって、日々のローテーションの中で迷う要素がない。朝来て、ものをつくって帰る。これを簡単に習慣づけられたんです」

 アイデアのヒントを探して観察&メモし、手繰り寄せたそのヒントから、新しいかたちをつくり続けた卒業制作。頭も手もフル回転した1年の間に、辻尾さんは自分の制作ペースをすっかり身につけていました。
「大学4年間のなかで、卒業制作をつくっているときがいちばん楽しかったですね。毎日つくることを経験し、習慣化されたことが、4年間で得た大きな変化でした。つくるものや、方法論は当時よりも整理されてきましたが、今も続いている制作の基礎は、この頃にあると思います」


卒業後も追い求めた「好きなこと」
「やりたいこと」を続けられる環境

 卒業制作『コトバのオキバ』がきっかけで、建築の設計からプロダクト、舞台美術など領域を横断して活動する「トラフ建築設計事務所」に声をかけられ、働きはじめた辻尾さん。これまでは、グラフィックデザインと空間デザインの領域を自由に行き来していたものの、仕事となるとそうはいきません。
「僕はグラフィックデザイナーなので、建築の図面を引くことはできません。そうすると、働いているのは建築設計事務所なので、最終的にできる仕事がなくなってくるんです。自分ができることでは、会社に貢献できない。これは、かなり辛いものがありました。そこで、会社とも『グラフィックデザインの仕事をしっかりやったほうがいいんじゃないか?』という話になり、入社して1年くらいで『トラフ建築設計事務所』とよく仕事をしているグラフィックデザイン事務所『TAKAIYAMA inc.』に転職しました」


 転職後、サイン計画から展示空間、ロゴなどのグラフィックデザインを担当し、経験を積んでいった辻尾さんでしたが、多忙を極める日々の中で、制作をする時間を確保するのは困難でした。
「なかなか休日に制作することも難しく、ただ『つくりたいな』という想いがずっとありました。転職して2年ほどが経過した頃、タイミング的にも平成から令和になる年だったので『いいタイミングだな』と思い、退社して独立しました」

 2019年に独立してからは、徐々に制作も再開。最近では、WebサイトやSNSで発表した作品をきっかけに仕事の依頼が来ることも。
 「作品がベースでお声がけいただく仕事に関しては、まずアイデアが求められていると思うんですね。そういう場合には、自主制作に近いアプローチで取り組むことが多いです」


独立後の2020年、常磐精工主催のコンペに3人のチームで参加した、卓球台になるホワイトボード『ASOBOARD』が最優秀賞を受賞。商品化が予定されている。辻尾さんはアイデアやコンセプトを担当。

 学生時代から「好きなこと」「やりたいこと」に“どっぷり”浸れる環境を追い求めて身を置き、「考える」「つくる」トレーニングを積み重ねてきた辻尾さん。社会人となった今もそれは変わらず、仕事と制作の双方で「考える」「つくる」時間を重ね続けています。
「頭に思い描いていたものを実際に手を動かしてつくっていると、想像を超えて『おっ!』となる瞬間がたまにあるんです。その感覚を何をつくるときでも味わえるようになりたいですね。自分が思っている以上のクオリティが出せるように手に覚えさせるというか、ビジュアライズの力を向上させていきたいです」

 そんな辻尾さんだからこそ、学生時代の自分におくるアドバイスは少々辛口でした。
 
 「理屈っぽくて、あまり聞く耳を持っていない学生だったので、きっと当時の自分に何を言っても響かないと思うんですけど……。ひとつ言うとしたら『もっとビジュアライズに力を入れたほうがいい』と、アドバイスするかもしれません。学生の間は、自分の作品をみんなに説明して評価される『合評』があるので、説明することを前提に制作することも多かったように思います。ただ、パッと見たときに『面白そう!』『カッコイイ!』と、人が惹きつけられる感覚って、説明して共有するのはすごく難しいんですよね。そういうことを、もう少し早い段階から意識できていたら良かったですね。……でも、当時そこまで考えていたら、卒業制作は到底間に合ってなかったと思います(笑)」



考え続けて、描き続ける。 すべては”継続”から生まれた制作スタイル

INTERVIEW

卒業から14年目

考え続けて、描き続ける。
すべては”継続”から生まれた制作スタイル

画家であり、成安造形大学 共通教育センター・助教として、学生の指導にもあたる藤井俊治さん。
子どもの頃から絵を描く楽しさに目覚め、大学3年生で初めて応募した大きな美術賞でグランプリを受賞。2018年には「VOCA展2018」奨励賞受賞と、経歴を見ると順風満帆そのものに見える藤井さんですが、その背景には多くの時間と思考の蓄積がありました。

藤井俊治さん

画家

1983年滋賀県生まれ。2006年に洋画クラス卒業後、研究生を経て、2009年に京都市立芸術大学大学院美術研究科修士課程絵画専攻油画修了。大学3年生のときに「シェル美術賞2004」グランプリ受賞。2018年には「VOCA展2018」奨励賞受賞。


「描けない」から諦めるのではなく、
自分の弱点をオリジナリティに変える

 2020年1月、東京・有楽町にて藤井さんの個展『半透明のドレープ translucent drape』が行われていました。この個展は、若手作家の登竜門ともいわれる「VOCA展2018」奨励賞受賞を機に開催されたもので、会場でもある第一生命本社ビルのロビーには、受賞作《快楽の薄膜》も展示されています。


[写真1枚目]第一生命本社ビルのロビーに展示されている「VOCA展2018」奨励賞受賞作品《快楽の薄膜》(2017年/240×390cm/パネル、綿布に油彩、アクリル、水彩、アルミ箔、雲母、ジェッソ/撮影:上野則宏/第一生命株式会社蔵)。[写真2枚目、3枚目]2020年1月15日~2月14日に東京・第一生命ギャラリーで開催された個展『半透明のドレープ translucent drape』の様子。

 藤井さんが「絵を描く楽しさ」に目覚めたのは、小学生のとき。
「当時流行していた漫画『ドラゴンボール』を真似て描いたら、みんなに”すごくいい!”って褒められたんですよね。いわゆる模写なんですけど。描く前に完成図があって、あとはひたすら手を動かしていく。これは今の制作スタイルにも似ているところがあります」
 自分の描いた絵が他人に評価されることで、「絵を描く楽しさ」を知った藤井さん。小学6年生になると「絵画教室に行きたい」と親に頼み込み、近所の絵画教室に通い始めました。
「絵画教室の先生が”美術の高校があるんだよ”、”美術の大学もあって、卒業したら大学院もあるよ”と、道標になってくれました。その先生との出会いは大切だったと思います」

 そして、美術科のある高校を卒業し、成安造形大学洋画クラスに入学。子どもの頃から描くことが好きだっただけに、順風満帆かと思いきや、ものをつくる人に囲まれるなかで、疑問や葛藤をずっと抱き続けてきたと言います。
「自分の絵は評価されないけど、人の絵は評価されるってこと、ありますよね。”自分がいい”と思ってやってきたことと、評価とのズレがあって、”この差はなんなんだろう?”という疑問を大学院修了するあたりまでずっと抱えていました」


個展『半透明のドレープ translucent drape』の展示作品より。[写真1枚目]《消えていくものについて》(2018年/サイズ可変/パネル、綿布に水彩、アルミ箔、ジェッソ)[写真2枚目]《半透明な輪郭-見つめられる時間-》(2018年/φ45cm/パネル、綿布に油彩、銀箔、アルミ箔、ジェッソ/個人蔵/撮影:塩谷啓悟)

「評価」は、他人から認められてはじめて成立します。自分にとっての「いい絵」と、まわりが思う「いい絵」が一致していないと感じた藤井さんは、「いい絵とは何か?」を追求していくことになります。例えば、絶景を前にしたときのように、美術の知識ゼロの人でも「美しい絵だな」と感じるためには、何をどう描けば良いのか? それは今でも、藤井さんが追求する制作テーマのひとつになっています。

「センスや才能がある人が、表現の道に進むと思われるかもしれないんですけど、実はそうではないと思うんです。評価されない、描けない、上手くないから諦めるのではなくて、それをどう受け止めていくか。自分では弱点だと思っていたことが、見方を変えるとオリジナリティに繋がったりするので。僕の場合は、”評価されない”ことから掘り下げて考え続けることで、自分の表現が少しづつ見えてきました」


“当たり前”に疑問を持つ。
大学2年生のターニングポイント

 どこか晴れない、モヤモヤとした悩みを抱えながら大学生活を送っていた藤井さん。大学2年生のとき、大きな岐路に立たされます。
「父が他界し、金銭的な問題もあって大学に残って好きなことを選ぶのか、大学を離れて現実的なことを選ぶのかを迫られたとき、僕は好きなことを選んだんですね。母も賛同してくれたので、大学に残ることにしたんです。当時のことで、すごく記憶に残っていることがあって……。父の訃報を聞いて、電車で実家に向かっているときに、車内の様子が今までとは違う見え方をしていたんです。これまでとは全然違う世界がそこにあるような。そのあたりから、表層的なことではなく、状況や意味、時代によっても変わる見え方を考えるようになりました」

 子どもの頃から大好きだった絵を、これからも描き続けていく――。そう決意し、能動的に制作するものの、制作した作品を学内で発表する「合評(講評会)」ではなかなか評価されないことが多かったと話す藤井さん。そんなとき、ふと学内に掲示されている公募展のポスターが目にとまりました。
「3年生の夏休みに、『シェル美術賞』のポスターを見て、応募作品の制作にとりかかりました。温度を視覚化するサーモカメラで撮られた画像をもとに描いたんですけど、余白の部分は何も塗っていないキャンバスのままなんです。これまでは絵画って”全面塗らないといけない”という、どこか”当たり前”に思っていたことがあったんですけど、それは実は誰かから言われたり、システム化されたものだと、気づきはじめて。先生や他人を意識しすぎていたところも少しあったのかもしれないなと、”自由に、自分の気持ち良いように描こう”と、そのときは制作していました」

「シェル美術賞2004」でグランプリを受賞した作品《humanoid》(2004年/112×145.5cm/アクリル、キャンバス)。

「シェル美術賞」は、赤瀬川原平や高松次郎、篠原有司男など、現代美術を代表する作家たちが受賞・入選してきた公募展。大学3年生といえば、ようやく自分でテーマを見い出し、作品をつくりはじめる時期ですが、藤井さんは見事「シェル美術賞2004」でグランプリを受賞します。
「当時はまだ美術賞とか、よくわかっていなくて……。”こういう賞をいただきました”と、大学の先生方にに恐る恐る話した記憶があります。20歳くらいの頃でしたが、この作品が自分のなかで少し変化が起きたポイントなのかなと思います。賞をいただいて、いろんな方から”若いときに受賞したのだから、このままではなくもっと変わりなさい”と言われました。まだ作家として制作スタイルや方向性も定まっていない時期だったので、今となってはその言葉の意味も理解できるんですけど、そのときは”難しいことを言うなぁ……”と思っていました(笑)」


藤井さんが学生時代に制作した作品たち。[写真1枚目]京都市立芸術大学大学院修了展にて発表した《mokmok》(2009年/240×390cm/綿布に油彩)[写真2枚目]2007年、東京・The Artcomplex Centerで開催されたグループ展『SHANGRI-LA CHANDELIER』展示風景[写真3枚目]京都・ギャラリーマロニエで開催された『キュレーターズ・アイ 2008』展示風景(撮影:草木貴照)。

 藤井さんは大学卒業後、1年間の研究生を経て、京都市立芸術大学の修士課程に進学。自分の制作スタイルを模索するため、さまざまな画材や技法を使って試行錯誤を続けました。
「大学院の間に、今でもお世話になっている大阪のギャラリーに作品を取り扱ってもらうようになったんですけど、”藤井さんは水彩はいいけど、油絵はあんまりやね”と言われていて(笑)。やっぱり自分が”心地良い”と思うことがちゃんと可視化していなくて、観る人と通じ合えてない感覚がありました。そこでひとつの挑戦として、水彩と油絵を併用するようになり、徐々に今の作品にも繋がるティアラや鏡など、俗に言うガーリーなものを描くスタイルになっていきました」


作品にも刺激を与える
制作と仕事の両立

 大学院を修了した後、これまで学んできた絵の知識を活かした仕事はないかと探していたところ、母校である成安造形大学でアルバイトを募集していることを知った藤井さん。すぐさま手をあげて、洋画クラスのアルバイトとして働きはじめます。その後、助手を経て、現在は画家としての制作活動の一方、教員として大学生へ授業を行ったり、学外でも高校生や中学生に美術のことを知ってもらい、大学に興味を持ってもらうのが藤井さんの仕事です。
「小学校時代に通っていたアトリエの先生が『大学に残って絵に携わる仕事ができるなら、いいんじゃないか』と、後押ししてくれたことも大きいですね。僕は、小学校のときに出会ったその先生のことをずっとカッコイイなと思っていて、何かを導く立場の人に憧れがあったので」

 現在では、鉛筆デッサンの授業も担当。導く立場となってあらためて得る気づきが、作品に反映されることもあるそう。
「自分で制作するのと、誰かに教えるのとでは全然違うんですよね。色々と調べるうちに、自分の作品にもそれが反映されたりする。自分が興味を持ってやらないと、教わる側も身にならない。つまらなそうに教えられても全然面白くないですよね。”こういうところが面白いよ”と、自分できちんと感じていないと伝わらないんですよ」


鉛筆デッサンの授業を担当する上で、あらためて研究したことが作品にも反映された作品。[写真1枚目]《夜は少し自由になれる》(2018年/47×38cm 紙に鉛筆/撮影:塩谷啓悟)、[写真2枚目]《光の叫び》(2019年/46×46cm/紙に鉛筆/撮影:塩谷啓悟)、[写真3枚目]《広がる闇に光》(2019年/45×34cm/紙に鉛筆)。「同じ鉛筆を使っていても、ザラザラしているところと、ぼかしているところでは効果が違う。かたちを取るだけでなく、どう使えば豊かな表現になるかを考えていくと、より深まるなと感じました」

 人それぞれの表現があるように、働き方も、制作のスタイルも「これが正解」というものはなく、「もっと柔軟でいい」と藤井さんは話します。
「大学で働くことが決まり、制作も続けるなかで、“生活”と“制作”を考えていくと、自分なりの作家像をつくればいいと思うようになりました。『こうじゃないどダメ』って誰が決めたん?って話じゃないですか。自分で決めていけばいい。大きなアトリエを持って、起きてから寝るまでストイックに絵と向き合う生活もいいかもしれないけど、僕の場合はそれだと続かない(笑)。ものづくりって、どこか自分を見つめる作業でもあるので、自分の限界を知ってしまったり、うまくできないこともあったり。そんな中で、自分を偽っても長続きしないんですよね」


時間を積み重ねることでしか
見えないものがある

 藤井さんの制作ペースは、個展や展覧会の予定が決まっていなくても、常に制作を続けてひとつずつの作品と向き合うスタイル。
「今は世の中的にも、スピードを求めすぎているところがあって『誰よりも早くつくりたい、展示したい』という気持ちも理解できるけど、僕はそもそも“絵を描くことは時間がかかること”と思っているので、そんなに急がなくてもいいのかなと思っています。『1時間やってこれだけしか進まへん!』と憤っても、そのスピードは上げられませんから(笑)。僕の制作はピリオドではなくカンマ。ずっと続くものとして作品を出していくし、どこでやめるかは自分で決められます。だけど、ずっと物語を紡ぎ続けることが、絵画の良さでもあるのかなと。掘れば掘るほど、どんどん見えてくるものがあるし、変わっていけるし、進んでいけるし、勉強にもなります」

 学生時代から現在まで、生活の中に“絵を描く時間”を積み重ねてきた藤井さん。画家として、また、導く立場となった今、まだ自分のスタイルが確立していなかった学生時代の自分にどんなアドバイスをするか尋ねてみると、なんとも藤井さんらしい答えが返ってきました。
「“いろいろやったほうがいい”って言いますね。いろんなことをやっていても、共通することがあったり、その中で見えてくるものがあるから、とりあえず続けて何かをやったほうがいい。僕は毎日同じことをするルーティンが好きなんですけど、ある行為が日々のなかで”当然のこと”になってくると、強くなってくる。1日のなかで“歯磨きをする”ことと同じように“絵を描く”ことがあるときに、別の何かが見えてくるような気がします」



思い描くイメージを大切に育み続け、 学生時代に表現したかったことが今の仕事に

INTERVIEW

卒業から12年目

思い描くイメージを大切に育み続け、
学生時代に表現したかったことが今の仕事に

フリーランスのコスチュームデザイナーとして、ミュージシャンのステージ衣装や広告のスタイリングなどを手がける前嶋章吾さん。
表現する人の動きによって、美しいかたちが生まれる前嶋さんのコスチュームはまるで”人が着る彫刻”のよう。その原点は、成安で過ごした4年間にありました。

前嶋章吾さん

コスチュームデザイナー

1985年滋賀県生まれ。2008年にファッションデザインクラス(現:コスチュームデザインコース)卒業。卒業後は衣装会社、スタイリスト小泉美智子のアシスタントを経て独立。ミュージシャンのステージやMVから広告まで幅広く衣装デザイン、スタイリングを担当。


学生時代に追い求めた
理想のイメージが現実に

 コスチュームデザイナーとして、ミュージシャンの衣装や広告のスタイリングを手がける前嶋章吾さん。体の動きに反応して布が様々なかたちを生み出し、舞台に立つダンサーやミュージシャンをより一層引き立るのが、前嶋さんの衣装の特長です。2016年からは、ミュージックビデオに衣装が採用されたことを機に、アーティスト・Coccoさんのステージ衣装も担当。


[写真1枚目]「Cocco 20周年記念 Special Live at 日本武道館2days 〜二の巻〜」より。(photo by nanaco)
[写真2枚目、3枚目]雑誌『SWITCH』Vol.35 NO.12 DEC2017(スイッチ・パブリッシング刊)より。(photo by nanaco)
[写真4枚目、5枚目]「Cocco Live Tour 2019“Star Shank”」より。(Photo by Shidu Murai)

Cocco 『藍色血潮 (short ver.) 』「沖縄のウタ拝2016」より。


 水のように流れたり、ふわりと雲のように膨らんだり、まるで”人が着る彫刻”のような前嶋さんの衣装。そのルーツは学生時代にあります。
「ファッションデザインクラスに入学したときから、”自分のブランドを持ちたい”とは思っていませんでした。表現をする人になりたくて、そのときいちばん興味があったのが『服』だったんです。それで、コンテンポラリーダンスの公演を観に行ったときに”いいな”と。学生のときの作品発表って、どうしてもファッションショーになるんですけど、洋服をお客さんが目にするのは一瞬なんですよね。でも、舞台やダンスなら、衣装も作品の一部だし、表現でもある。ドイツの舞踊家ピナ・バウシュ率いるヴッパタール舞踏団の衣装にも感銘を受けて、『服』を仕事にするなら衣装の世界なのかなと思いました」


前嶋さんの卒業制作作品。「当時は”現代美術でもないし、ファッションでもないし、何がしたいのかわからない”ってよく言われましたね。自分のアウトプットを模索して、立体造形クラスで溶接を習いに行ったり、3年時には構想表現クラスに移ろうとも考えていました」

 卒業制作で発表した作品は樹脂でつくったドレス。頭の中でイメージしていた女性が着ているもので理想的なかたちを求め、人が着用していなくても成立するようにテグスで固定したのだそう。「服」というより「彫刻」のようなこの作品は、これまで前嶋さんが手がけてきたコスチュームに通じるものがあります。
「あらためて見ると、リアルに存在する人か、イメージの中に存在する人かの違いで、今も当時も、根底の考え方は近いものがあると思います。卒業制作の作品は、イメージの中に存在する人の空気感を衣服で表現したかった。だから、テグスと樹脂を使ってドレープを固め、繊細な表情を出して制作しました。今は制作した衣装を着る人がリアルに存在し、その人が着て動くことによってイメージした以上に一瞬一瞬、綺麗で繊細な空気感が生まれています。そう考えると感慨深いものがありますね」


前嶋さんのアトリエ。彫刻をつくるように立体裁断でかたちを探ったり、花を使って布を染めたりと、さまざまなコスチュームがここから生まれている。

 服づくりのプロセスには、寸法をもとに紙の上でデザインを組み立てていく平面裁断と、ボディ(トルソー)に布をあててシルエットをつくっていく立体裁断の2通りがあります。前嶋さんのコスチュームづくりは立体裁断。布をふわっ、ふわっと、何度もなびかせながら美しいラインを探っていくのだそう。
「偶然生まれたラインが着たときに面白い動きをしたり、計算できないかたちをつくれるのは立体裁断ならではかもしれません。手で動かしてみたり、自分で着て動いてみたり(笑)、外に置いて風が吹いたときの見え方を観察したり。かたちを決めるのは制作の中でもいちばん時間がかかりますが、まずは着用する人の雰囲気や動きをイメージしながらかたちをつくり、次に実際に着用してもらい、その人の動きに合わせてカットラインなど、細かく調整を繰り返して仕上げていきます」


“作品としての衣装”ではなく、
人のためにつくる衣装が楽しい

 大学生の頃から、コスチュームデザインに興味を持っていた前嶋さん。卒業後は衣装会社で働きはじめましたが2年で退社。次に進む道を模索するなかで、今の仕事につながるきっかけを掴みます。
「社会に出て、多くの人が経験すると思うんですけど、理想と現実の違いにぶつかるというか(笑)。今でこそ当時を振り返って、”いい意味で鍛えられたな”と思えるんですけど、仕事を辞めた頃は精神的に最悪な状態で。”これからどうしようかな”と考えていたところに、大学の先輩の結婚式で新婦のドレスと新郎のベストをつくることになったんですね。そのときにあらためて”人のために衣装をつくるのはシンプルに楽しいな”と感じられて。もう一度、衣装をつくっていきたいと思えました。まわりのスタイリストが衣装をつくれる人を探していることも多かったので、そうしたオーダーを受けるようになり、同時にスタイリストのアシスタントも始めました」


「しんどい時期を抜け出すきっかけになった」と言う、先輩の結婚式のために制作したドレス。

 組織に属さず、フリーランスではじめた衣装制作。依頼されたデザインをもとに衣装をつくるなかで、オリジナルでつくっていた1着のドレスがコンテンポラリーダンスの衣装に採用されます。
「当時は外注の仕事ばかりだったので、”こういう衣装をつくってほしい”とデザインがあってつくることが多かったんですけど、退職した頃、自分の気持ちを整理するために1着だけつくったドレスがあったんです。ミュージックビデオの衣装の依頼を受け、衣装合わせのときにそのドレスを持って行ったら気に入ってもらえて。それまで自分のデザインに自信が持てなかったんですけど、少し認められた感じがして嬉しかったですね。そのあたりからコスチュームデザインの仕事も徐々に増え始め、スタイリスト・小泉美智子さんの後押しもあり、アシスタントからコスチュームデザイナーとして独立することになりました」


ダンサーがまとう白いドレスは、前嶋さんが退職後に唯一制作したオリジナルデザインのもの。

 前嶋さんのコスチュームデザイナーとしてのキャリアスタートは、奇しくも学生時代に興味を持っていたコンテンポラリーダンスと繋がります。衣装はいわば、着る人の”表現”とともに世界観をつくりあげるひとつのツール。アーティストやダンサーなど、表現する人たちとの仕事はいつも刺激的だと前嶋さんは言います。
「表現する人たちと一緒に仕事をすると、自分の感覚をふっと引き上げられたと感じるときがあります。僕は自分ひとりで考えていても、煮詰まることが多くて。仕事を辞めて時間があるときにつくれたのは1着だし(笑)。”この人に着せる”と、人ありきのほうがイメージが湧きやすいし、自分ひとりでいろいろ考えても、それを相手にぶつけたときに想像もしなかった方向からのアイデアが飛んできたりもする。これまでつくったものを見ても、相手と意見を交わしながら思わぬ方向に進むほうが、正解なことが多い気がします」


まるで楽園!?
想像以上に楽しかった大学生活

  今でも桜の季節になると、コースや世代を超え、東京に住む卒業生たちに声をかけ、代々木公園で花見をするほど、成安生とのつながりを大切にしている前嶋さん。なんでも、成安造形大学での4年間は、日々をほぼ大学で過ごすほど楽しかったのだそう。
「実は高校時代、まわりの環境に馴染めなくて(笑)。大学では、能動的に楽しむように動いていました。学生数も少なかったので、クラスの同期とはもちろん、上下の学年間や先生とも距離が近かったこともあり、様々な考え方や手法で作品づくりをする人たちと意見交換したり、他クラスの友人たちと一緒に作品がつくれたことはとても良い経験になりました。大学時代に“かたちは違っても、みんな何かをつくっている環境”に身を置けたことは幸せだったと思います」

 「大学時代の環境に恵まれていたぶん、卒業したての頃は気持ちが折れそうになることもありました。今、当時の自分に声をかけるとしたら”その環境はあたり前じゃないぞ”と教えてあげたいですね。ただ、どこにいても自分が描くイメージや世界観を大切に育み続けていれば、結果につながっていくこともあると伝えたいです」

今見ておきたい 関西名建築3選

CULTURE NOTE

今見ておきたい
関西名建築3選

建築はデザインとアート、工学と芸術の両方の側面を持ちます。優れた機能性や形態だけではなく、美しい造形や身を置くだけで感動できる空間が備わっている「名建築」は、建物を使う人やその建物がある地域の人々を幸せにする力を持っています。「名建築」は人それぞれで、お寺や教会、美術館、生まれ育った家など。そんな「名建築」との出会いはみなさんの人生を豊かにしてくれるでしょう。

< 推薦者 >

三宅正浩さん

空間デザイン領域 准教授/建築家

大阪市立大学工学部卒業。建築設計事務所「y+M design office」共同代表であり、島根県邑智郡邑南町にある学びと地域交流を目的としたコミュニティサロン「エキノマエ」共同代表。住宅から公共空間まで幅広く建築設計し、国内外で多数受賞している。また農業やまちづくりなど活動範囲は多岐にわたる。


「地域交流拠点施設ー箸蔵とことん」(2019)Photo:笹倉洋平



設計:大谷幸夫
国立京都国際会館
(京都府京都市)

台形・逆台形の空間の組み合わせで構成され、日本の伝統様式をモチーフとした建築は、60年代当時の未来に向けられた期待や情熱を感じることができ、気品とアイデンティティーを兼ね備えた国際会議場です。内部は当時の内容や家具が保存されており、事前申し込みにより、見学することもできます。

国立京都国際会館

京都市左京区岩倉大鷺町422
※毎月設定される見学日に事前予約すれば見学可能。詳細はwebサイトにて。
https://www.icckyoto.or.jp


設計:フランク・ロイド・ライト
ヨドコウ迎賓館(旧山邑家住宅)
(兵庫県芦屋市)

近代建築の巨匠、フランク・ロイド・ライト設計のヨドコウ迎賓館(旧山邑家住宅)です。芦屋市の小高い丘の上に階段状に建てられ、幾何学的な彫刻を施された大谷石や、マホガニーの複雑な木組み装飾、植物モチーフの飾り銅板など、自然と調和するライトの建築思想が随所に感じられ、関西で唯一、ライトの建築を体験することができます。

ヨドコウ迎賓館

兵庫県芦屋市山手町3-10
TEL:0797-38-1720
開館日:水曜、土曜、日曜、祝日
開館時間:10:00〜16:00(入館は15:30まで)
入館料:大人500円、小・中・高校生200円
https://www.yodoko-geihinkan.jp


設計:安藤忠雄
司馬遼太郎記念館
(大阪府東大阪市)

日本を代表する建築家・安藤忠雄氏による設計。小説家・司馬遼太郎の記念館で、蔵書に囲まれた暗闇の中でステンドガラスを通して微かな光が入り込む空間をつくりだし、司馬文学の精神世界が表現されています。司馬遼太郎の世界観を安藤建築を通して堪能することができる空間です。

司馬遼太郎記念館

大阪府東大阪市下小阪3-11-18
TEL:06-6726-3860
開館時間:10:00〜17:00(入館受付は16:30まで)
休館日:月曜(祝日の場合は開館し翌日休館)
入館料:大人500円、高・中学生300円
https://www.shibazaidan.or.jp/

アメリカのスーパーで見つけた! おいしい&パッケージが楽しいヨーグルト3選

CULTURE NOTE

アメリカのスーパーで見つけた!
おいしい&パッケージが楽しいヨーグルト3選

25歳くらいからニューヨークに旅行へ行くようになり、29歳からアメリカに約4年間住んでいました。当時はまだ日本に入ってきていなかったベーグルやマフィン、ユダヤ料理など様々な国の料理にわくわくしました。世界のどこへ行っても、まずチェックするのがスーパー。普段見かけない乳製品、とくにヨーグルトは日本では珍しいフレーバーのものがあり、かわいい容器は洗って持ち帰るようにしています。

< 推薦者 >

MONさん

イラストレーション領域 教授/エッセイコミック/イラストレーター/翻訳家

35年のキャリアを持つイラストレーター、コミックエッセイ、翻訳家。加えて、ここ10年はZINEやグッズ制作を行うほか、ZINEのフェア「ZINE DAY OSAKA」を共同主催。


文庫版『おしゃべりニューヨーク』上陸編・生活編(2013/集英社コミック文庫)



コーヒー味のヨーグルト
「Brown Cow Yogurt」

このおいしさを出会った人に必ず伝えるようにしていますが、日本ではやはり見かけない……。アメリカでは、オーガニック系のスーパーで販売されています。濃厚なヨーグルトのものがおすすめ。(一般的にアメリカのヨーグルトは低脂肪・無脂肪のものが多い)


ヤギミルクのヨーグルト
「Redwood Hill Farm」

1968年創業、老舗メーカーのヤギのミルクを使ったヨーグルト。写真はブルーベリー味で、ヤギミルクのクセもありません。パッケージの賢そうなヤギがたまりません。含蓄のあるアドバイスをくれそうです。(……ヨーグルトとは関係ない)


羊ミルクのヨーグルト
「Old Chatham Creamery Sheep’s Milk Yogurt」

黒羊のマークがかわいすぎる、おいしいヨーグルト。メープルシロップ味やジンジャー味がお気に入りです。コーヒー味も、メープルシロップ味も、ジンジャー味も、日本では見かけないので、仕方なくときどき自力でつくっています。

やるべきことを、やっていく。 どんな状況も”なんとかする”映画制作の現場

INTERVIEW

卒業から11年目

やるべきことを、やっていく。
どんな状況も”なんとかする”映画制作の現場

映画が好きだけれど、自分には撮る技術がない――。
どうしたら映画をつくる仕事に携われるのだろう?
学生時代、そんな想いを抱いていた渡辺美穂さん。
現在は会社に属さず、フリーランスの制作担当として数々の映画製作に携わっています。
映画の制作担当(制作部)とはどんな仕事? 仕事を始めたきっかけは?
制作現場で奮闘する渡辺さんのこれまでを伺いました。

渡辺美穂さん

映画制作部(フリーランス)

1988年広島県尾道市生まれ。2009年にビデオ・放送クラスを卒業。現在はフリーランスの制作担当として、映画製作の現場に携わる。これまで携わった作品は『デンデラ』(天願大介監督/2011)、『モテキ』(大根 仁監督/2011)、『海街diary』(是枝裕和監督/2015)、『万引き家族』(是枝裕和監督/2018)など。


映画の撮影場所(ロケ地)を見つけ出し
作品のベースをつくる制作部の仕事

 会社に属さず、フリーランスとして映画製作に携わる渡辺美穂さん。これまで『モテキ』(大根 仁監督/2011公開)や、第71回カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞した『万引き家族』(是枝裕和監督/2018公開)など、数々の作品に参加してきました。
 映画製作の現場には様々な役割がありますが、なかなか裏方の仕事を知る機会はありません。渡辺さんが担当するのは「制作部」と呼ばれる部門。ロケーション撮影に関連する仕事を主に担当し、作品のイメージに合うロケ地を探したり、撮影許可を取ったり、撮影がスムーズに進むよう見物人の誘導をしたり、宿泊の手配をしたりと、仕事の幅がとても広いそうです。


これまで渡辺さんが制作に携わった映画台本の数々。パラリと台本をめくってみると、スタッフの動きやエキストラについてのメモ書きが。

「制作部は製作がスタートして早い段階から動き始めます。制作部には、予算を含めて全体的に管理する『担当』と、主にロケ場所を探す『主任』、弁当手配やスタッフパスなど、現場で必要なものを用意する『進行』の3つの役割があります。私も最初は『進行』から現場を学んで、現在は『主任』のポジションです。仕事の内容は、まず台本を読んで、例えば”学校”が出てきて、部室や体育館の描写があれば、当てはまる高校や中学校を探します。監督がイメージする学校は、進学校なのか? 公立校なのか? 田舎の学校がいいのか? 都会の学校がいいのか? と想定しながら候補地を探して監督にプレゼンします」

 「制作部」は、作品のベースとなる撮影場所(ロケ地)を探し、撮影が行えるように下準備を行う仕事。渡辺さんが参加する作品の場合、撮影が始まる2ヶ月前から準備を行い、その後1ヶ月をかけて撮影することが多いそう。
「場所の雰囲気がイメージに合っていても、撮影には色々な条件も必要になってきます。映像の撮影だけでなく、録音も一緒に行うので、工事現場が近くにあるとダメですし、機材などを搬入するために十数台の車が動くことになるので、駐車場所を借りる必要もあるんです」


ロケーション撮影では、許可を得て道路で撮影することも。許可の申請や、車や人の誘導なども、制作部の仕事。

 2ヶ月をかけて準備をし、無事に撮影がスタートしてからも、制作部の仕事は撮影が終了するまで続きます。
「ロケをしていると近隣にお住まいの方に『音が気になる』『照明がまぶしい』と指摘されることもあるので、そういったときの対応をしたり、私有地など立入禁止の場所をスタッフに伝えたりします。現場に入ると、撮影する場所やその地域の方々と現場のスタッフをつなぐ役割を担います」


どんな状況でも”なんとかする”。
ロケーションが脚本に影響することも

 ロケ地は作品の設定や、世界観を構成する重要な要素。映画を観ていると、本当にその場所で登場人物たちが暮らしているようにしか見えません。一体、どんなふうに撮影場所を探すのでしょうか?
「例えば、是枝裕和監督作品『万引き家族』の場合、家の中のシーンはセットで撮影することが決まっていたんです。ただ、『家の外(外観)はロケーションでやりたい』という監督の希望があって。平屋のイメージだったので、不動産屋で探したり、Google mapの航空写真で『ここは平屋なんじゃないか?』と思うところに足を運んだり、古い住居が建つエリアをとにかく歩いたり……。それで、監督にロケ地をプレゼンする前日に、ようやく見つけたんです。もちろん勝手に撮影できないので、家主さんを調べて交渉して、ギリギリ、プレゼンに間に合いました」


映画『万引き家族』の撮影現場。是枝裕和監督は撮影場所を見て脚本を書き直すのだそう。登場人物の信代は当初、縫製の仕事をしている設定だったものの、渡辺さんが探し当てたクリーニング店での撮影が決まり、クリーニング店でパートをしているという設定に変更された。

 脚本に合わせてロケーションを探すことが多いものの、監督によっては、ロケーションが脚本に大きく影響する場合も。例えば、2020年1月に公開された『風の電話』(諏訪敦彦監督)は、台本ではなく、簡単な設定だけが書かれた10枚ほどの資料をもとに、ロケ地のイメージを探っていったのだとか。
「『風の電話』は、岩手に住む女の子が東日本大震災で被災し、叔母の家で暮らすことになるんですけど、そこから自分の故郷を目指すロードムービーなんです。限られた予算ではありましたが、監督の意向で自然災害の被害を受けた場所で撮影することになりました。色々な地域が候補にあがるなかで、広島県呉市で撮影することになり、東京でセットを組んで撮影する予定だったシーンもロケで撮影し、広島から岩手に向かうストーリーになりました」

 渡辺さんが仕事を「楽しい」と思える瞬間は、作品が世に出てからだと言います。
「どんな状況でも”なんとかする”のが仕事なので、製作している間は毎日無事に撮影ができることしか考えていません。楽しいと思えるのは、作品が公開されて『いい仕上がりだな』と思ったり、話題になるときですね」


映画をつくる仕事に携わりたい。
偶然チラシで知った「制作部」の存在

 渡辺さんが制作部の仕事をスタートさせたのは、大学卒業から2年後のこと。映画への興味は高校生の頃から持ち始めたそうですが、業界に関する知識も、ツテも、まったくなかったと言います。
「高校生のときも、大学生のときも、映画は全然詳しくなかったです。本当に軽い興味だったので、業界のこともあんまりわかっていなかったですし。映画製作のなかでプロデューサーと監督の役割の違いも、理解していなかったほど(笑)。業界のあれこれを知ったのは卒業してからです」

 そんな渡辺さんが制作部の存在を知ったのは、大学生時代。京都シネマに置かれていたチラシに「映画制作ボランティア募集」が掲載されていたのが目にとまりました。
「冨樫 森監督の『天使の卵』(2006公開)という作品だったんですけど、制作のお手伝いは美術セットを運んだり、見物人を誘導したり。映画をつくる”何か”をしたいけど、自分には技術がないし……と考えていたところだったので、制作部の存在を知って、なかなか面白い仕事だなと思ったんです」




 映画製作の現場は会社に属さず、フリーランス(個人)で働く人も多い業界。とはいえ、まだ現場を経験していない新卒がいきなりフリーで仕事をするのは困難です。
「周囲の”就職しなくちゃ”という空気もあり、とりあえず就職することで東京に出ようと考えました。webの制作会社だけれど、社長の映画好きが高じて映画の製作もしている会社に就職し、何もわからないまま小道具を準備したりしていました。入社したときにちょうど映画製作の準備をしていて、それが終わったのが研修期間が終わるタイミングだったんですけど、製作が終わると同時に退社しちゃいました。やっぱり、webの制作会社なのでずっと映画をつくっているわけではないですし、自分はがっつりと映画の現場に携わりたいなと思ったので」

 退職した後、映画館でアルバイトをしながら映画のエンドクレジットに出てくる制作会社に電話をかけ、「制作部で仕事がしたい」とアピールしていた渡辺さん。映画館でアルバイトをする生活が1年ほど続いた頃、ある制作会社に連絡したところ「今準備している映画があるから」と、『デンデラ』(天願大介監督/2011公開)の現場を紹介してもらいます。
「はじめて参加した現場が、山形県の雪山でのロケ。ただひたすら雪かきをするのが、最初の仕事でした。そのときに一緒に仕事をした方が次の作品『モテキ』(大根 仁監督/2011公開)の現場を紹介してくれて、道がわからない都内をあちこちぶつけながら運転していましたね(笑)」

学生時代の自分に
声をかけるなら
「いろんな経験をしたほうがいい」

 とにかく制作の現場に飛び込み、はじめての経験をイチから積み上げていった渡辺さん。作品に参加することで横の繋がりが生まれ、気がつけば年間通して3本ほどの作品に携わるようになり、まもなく10年目を迎えます。
「この業界はフリーランスの人が多くて人手不足なので、人を探していることが多いんです。『とにかく来て!』みたいな(笑)。ただ、私もそうだったんですけど、どうやって業界に入るかがわからないですよね。入ってしまえば、横の繋がりができるので、私の場合は一度参加させてもらった制作チームに、別の作品で声をかけてもらうことが多いです。もちろん、会社に属している人もいますが、現場でやることは組織に属しても、そうでなくても変わりません」

 制作部の仕事をはじめて10年、「一生懸命やることは、はじめた頃と変わらない」と話す渡辺さん。学生時代、映画が好きだけれど、カメラや照明など”撮る技術”のない中、どうしたらいいかわからなかった自分にアドバイスをするとしたら?
「制作部の仕事を始めた頃は、やればやるほど、どんどん自分のスキルになっていったので、早くはじめたほうができることも増えていくんだなと感じました。だから、『いろいろやったほうがいい』って言うかもしれません。大学は楽しかったですけど、私は大学時代、そんなにいろんなことをやっていたわけではないので……。ワークショップでも映画祭でも、何か参加できる場があれば、どんどん色々なことを経験したほうがいいのかなと思います」



「はる谷。」という世界観をもったイラストレーターに仕事を頼みたいと思ってもらえるようになりたい

INTERVIEW

卒業から3年目

「はる谷。」という世界観をもった
イラストレーターに仕事を頼みたいと
思ってもらえるようになりたい

在学中から“はる谷。”の名義で、「ゆめかわいい」イラスト(※1)のグッズ展開をしたり、似顔絵イベントに参加したり。卒業後はイラストレーター兼イベントプランナーとして個展の開催やカフェとコラボしたメニューの提案、他の作家とコラボ商品を制作するなど、さらに活動の幅を広げています。日々、派遣として働きながらイラストレーターとして知名度を上げている、はる谷。さんに卒業からこれまでの活動や今後の目標について聞きました。

はる谷。さん

イラストレーター/イベントプランナー

高知県生まれ。2018年に成安造形大学 イラストレーション領域卒業。在学中からクリエイター&ハンドメイド商品を取り扱う『tenten城』(大阪・中崎町)でゆめかわいいオリジナルグッズを販売するほか、卒業後は同店で月1回定期イベントを実施。2019年3月には大阪・新町にあるレンタルスペースでセルフプロデュースカフェ『creator‘s collabo café ama♡ii』を2日間限定でオープン。8月には個展『Connect♡you』(DESIGN FESTA GALLERY)を東京・原宿で開催するなど、精力的に活動している。

>はる谷。ポートフォリオ ウェブサイト


グッズをつくり始めたきっかけは
MONゼミの先輩の展示

Q.01

在学中から自分のイラストをグッズ展開されていたそうですが、グッズをつくろうと思ったきっかけはあったんですか?

大学1年生の時にイラストレーション領域のMON先生のゼミの先輩たちがそれぞれ独自のイラストで様々なグッズをつくって学内で展示・販売をしているのを見て、“学生でもこんなグッズをつくることができるんだ”って思ったのがきっかけです。それまでグッズはメーカーさんがつくるものだと思い込んでいました。それを機に自分で色々調べて、缶バッチ、シール、アクリルキーホルダーなどをつくりました。最初にお披露目したのは1年生のときの成安の大学祭です。

Q.02

はる谷。さんはMON先生のゼミに所属されていたんですよね。

MON先生は商業イラストレーターとしても活躍されているので、イラストレーターとして働くうえでの大切なことをたくさん教えていただきました。今でも困ったことがあるとメールで相談にのってもらったり、機会があればポートフォリオを見てもらったりしています。在学中は色々な指摘を受けていたのですが、最近ポートフォリオを持って行ったときは「私が言うことはもうない」と言ってくださって、すごくうれしかったです。少しは成長できたのかなって思いました。


Q.03

今振り返ると、どんな学生だったと思いますか?

限られた時間の中で、自分のやりたいことを実現するための方法を考えて時間の使い方を工夫していました。性格的にやりたいことが最優先になるのですが、そんな中でも課題はちゃんと終わらせていましたね。親に通わせてもらっている大学なので、適当にはしたくなくて。例えば、課題でつくる作品をグッズにも展開できるようにテーマを考えることで、課題も自主制作も実現できることに気づいたんです。それにグッズまで展開したほうが就職活動用のポートフォリオに載せる作品としても使えるなって思いました。


イラストレーターとしての土台は
成安での学びの中にある


Q.04

入学当初から、「ゆめかわいい」を意識したイラストを描いていたのですか?

大学1・2年生のときはサブカル系(※2)っぽい絵を描いていたのですが、個人でのグッズ展開をしていらっしゃるクリエイターさんに興味を持ち始めたころ、「ゆめかわいい」というテーマに出会いました。世界観が確立された作品をつくりたいと思っていたことと、当時ゆめかわいい系といえば、という作家さんが極端に多いわけではなかったので、私はこのテーマでとびぬけたい!と思って描き始めたという面もあります。

Q.05

イラストレーターとしてやっていこうと決断したのはいつ頃からですか?

実は個人の活動は大学生の間だけで、卒業したら辞めようと思っていたので、それまでに好きなことは全てやって、普通に就職するつもりでした。でも、実際に就活を始めてみたら、色々な企業を受けたものの、自分が働きたいと思える会社に出会えなくて…。就活をやりきったうえで、自分のやりたいことは大学でやってきた個人の活動なんだって気づいたんです! 親とも相談して、イラストレーターとして活動することを決めました。


大阪・中崎町にある『tenten城』での定期イベントの様子。

>tenten城 Twitter


Q.06

現在イラストレーターとしての活動は主にどんなことをやっていますか?

イラストの仕事に関しては、グッズ制作・コラボイベント等をメインにお仕事を受けています。また、在学中からお世話になっている大阪の『tenten城』というショップでオリジナルグッズを販売しながら、月1回店頭に立ってグッズの販売や似顔絵を描く定期イベントをやっています。主催で行った大きなイベントとしては、活動を続けていくなかで知り合ったファッションやアクセサリーなどジャンルの異なるクリエイターさんとコラボした、セルフプロデュースカフェ『creator’s collabo café ama♡ii』を2日間限定でオープンしました。10ヶ月くらい準備期間を設けて、クリエイターさんの作品イメージをキャラクターにしてメニューを考案したり、コラボグッズのポストカードやキーホルダーをつくって販売しました。お客様もたくさん来てくださってすごく盛り上がりました。そのイベントがきっかけで、イベントやカフェとのコラボメニューをプロデュースする仕事が増えたので、自分の強みをつくることができたのを実感しています。

Q.07

2019年8月には東京・原宿にある「DESIGN FESTA GALLERY」で個展を開催したそうですね。

東京での個展は自分の次のステップに向かうための大きな転機にしたいと思い、開催しました。この個展はいままでやってきたことを東京の方にも知ってもらいという気持ちが大きく、「いままでとこれから」をテーマに展示しました。仕事として受けるコラボイベントでは、依頼主であるお店の世界観をどう表現するかを考えますが、個展は1から10まで自分の世界をつくっていくので、はる谷。の世界観を最大限に楽しんでもらえる空間で、楽しい思い出をつくれる時間を演出したい、というのが私の中での一番大きな個展をやる意味です。世界観を何よりも大切にして作品を制作しているので、個展の開催に関しては今後も続けていきたいと思っています。お客様の中には、はるばる大阪から来てくれたファンの方もいて、これまで頑張ってやってきた一つの成果かなって思いました。



セルフプロデュースしたカフェでは、はる谷。さんを含め5人のクリエイターをイメージしたキャラクターメニューを考案。


Q.08

イベントも個展も一つひとつ実績を積み上げて、自分の力にしていけるのはすごいですね。

私の近くには憧れているクリエイターさんがたくさんいて、みなさんの頑張りを見るとまだまだだなって。でも、今こうやって自分のやりたい活動ができているのは、成安でイラストレーションに関わる総合的なことが学べたからだと思います。DMをつくるために必要な技術を学べたり、学内にあるシルクスクリーンができるラボやデジタルの大型印刷ができる施設でグッズづくりを身近に体験できたり。自分がデザインした物を自分自身の手でつくれる環境が成安に整っていたことが、「なんでも自分でやってみよう!」という気持ちになれた要因のひとつだと思います。


ファッションも含めて、自分の世界観を表現するはる谷。さん。


他ジャンルのクリエイターとコラボして
新しいものづくりに挑戦したい

Q.09

これから成安でイラストレーションを学ぶかもしれない生徒さんにアドバイスするなら、何を伝えたいですか?

商業イラストレーターになりたいのか、それともアーティスト寄りのイラストレーターになりたいのか、どちらの方向へ進みたいかをできるだけ早く明確にできると、大学での学び方が変わってくると思います。肩書は同じイラストレーターでも、前者は仕事の依頼内容に合わせて色々なテイストのイラストを描くのが仕事で、後者はアーティスト要素を強く持ちながら仕事につなげていかなければならないので、アプローチの仕方が全然違う。依頼内容に合わせてイラストを描くことができる人、できない人がいると思うので、そこを意識しながら学ぶことが大事かなって。私はMON先生に憧れて商業イラストレーターの勉強もしていたんですけど、アーティストとしてやっていきたいとに気づきました。もっと早く気づけていたら、就活時期に悩まずにすんだのかなって思います。

Q.10

はる谷。さんの今後の目標を教えてください。

現在は派遣と両立して仕事をしている状況ですが、イラストやイベントを展開している「はる谷。」名義での仕事のみで生活できるようになりたいと思っています。自主的に活動している部分を安定させつつ、いろんな方とかかわりながら絵の仕事も増やしていけたらというのが一番の近い目標です。
また、自分の世界観をいろんな方に楽しんでもらえるような様々なイベントの企画にも挑戦していきたいと思っています。現時点での大きな目標として、自分のプロデュースしているプロジェクトであるama♡iiの「Creater×Girls」のテーマに沿った企画を運営する会社を作りたいというのがあります。自分のプロデュースした常時営業しているコンセプトカフェを開くというのも夢の1つですね。
今は成安で培った土台を強化していく時期だと思っているので、自分の強みを生かしながら一歩一歩頑張っていこうと思っています。

※1 Kawaiiカルチャーの一形態として誕生した「ゆめかわいい」(ゆめかわ)。ただ「かわいい」だけではなく、ゆめみたいなファンタジックさと儚さが詰まった「ゆめかわいい」世界観は、日本だけでなく世界中で注目されている。

※2 日本の昔ながらの価値観とは異なった、独自の趣味趣向を持つ若者文化。





●後日談●

後日はる谷。さんから連絡があり、インタビューの数ヶ月後に派遣会社を退職し、現在はフリーランスとして活動しているそうです。
インタビュー中に話していた通り企画面でも積極的に活動されており、プロデュースしたメイドカフェがオープンしたそうです。

2021年1月6日 追加

メイドカフェ「ドキッとプリンセス」の様子と会場でのはる谷。さん。

>メイドカフェ「ドキッとプリンセス」 ウェブサイト


衣装や演出がすばらしい DVDで観られる舞台作品3選

CULTURE NOTE

衣装や演出がすばらしい
DVDで観られる舞台作品3選

ファッション(流行服飾)と違い、舞台のコスチューム(衣装)はそのキャラクターのためだけに「心のドラマをどう表現するか」が重要視されます。物語をもとに美術セット・演技・振付等が計画され、さらには照明・音響・衣装・ヘアメイクが絡み合いながらデザインされるので、どのように融合しているかを楽しむのも舞台の醍醐味のひとつです。

< 推薦者 >

田中秀彦さん

空間デザイン領域 准教授/コスチュームデザイナー/舞台演出家

成安造形短期大学服飾芸術コース卒。ヘアメイク、コスチュームアーティストによるクリエイターグループ「iroNic ediHt DESIGN OHCHESTRA」を結成し、舞台、映像、写真の世界で活動。



ジュリー・テイモア演出
『ジュリー・テイモア 夏の夜の夢』


『ジュリー・テイモア 夏の夜の夢』Blu-ray¥5,800+税/DVD¥4,800+税(発売元:アイ・ヴィー・シー)
©︎2014 LOH INC

「ライオンキング」の衣装と演出を手がけたトニー賞受賞演出家、ジュリー・テイモア演出によるシェイクスピアの「夏の夜の夢(Midsummer Night’s Dream)」。夏至の夜、妖精の森に集まった人間のカップルと妖精王の夫婦が繰り出すドタバタコメディー。プロジェクションマッピングや舞台装置トリックを駆使してアーティスティックな衣装と共に幻想世界を美しくつくりだしています。(衣装:コンスタンス・ホフマン)


野田秀樹演出
『NODA・MAP番外公演 表に出ろいっ!』

歌舞伎役者中村勘三郎と、脚本家で演出家、俳優でもある野田秀樹がタッグを組んだ三人芝居。父、母、娘が家の留守番をめぐってなんとか「家」を出ようとするも、お互いに邪魔をしあうがためになかなか出かけられないという喜劇。閉塞的な密室劇ですが、カラフルな舞台美術と衣装が、役者のパワフルで楽しい動きを増幅してくれます。(衣装:ひびのこづえ)


蜷川幸雄演出
『ハムレット』


蜷川幸雄80周年記念 彩の国シェイクスピア・シリーズ番外編 NINAGAWA × SHAKESPEARE LEGEND 第2弾『ハムレット』 DVD¥5,800+税(発売元:ホリプロ 販売元:ポニーキャニオン) ©2015-2016 HORIPRO INC.

成安造形大学の空間デザイン領域客員教授でもある、衣装デザイナー前田文子先生が衣装を手がけた『ハムレット』。和と洋、近世と現代がミックスされながらも抑制の効いたシンプルで品格高い衣装の向こうに、激烈に燃え上がる感情が表現されており、厳選された布素材の色はどのシーンでも静かな緊迫感を創造しています。(衣装:前田文子)

ラジオをきっかけに広がる世界 「今」が楽しくて仕方ない

NOW SEIAN
創作活動編

ラジオをきっかけに広がる世界
「今」が楽しくて仕方ない

センバエミカさん

イラストレーション領域・
メディアイラストコース 3年生

イラストレーション領域の学生であり、学内ラジオ番組のMCも務めるセンバエミカ(作家名)さん。
彼女の明るい声を楽しみにするリスナーも多いとか。
そこで、MCのおもしろさや、大変なことなど気になる番組進行について聞いてみました。


「さぁ〜、始まりました! ラジオ-セイアンデンパ、MCセンバエミカです」成安造形大の学生にはおなじみの声が聞こえてきました。毎月末に配信される「ラジオ-セイアンデンパ」。イラストレーション領域3年生のセンバエミカさんがMCを務めています。毎回、学内の旬な学生をゲストに迎えて芸大トークが繰り広げられています。


“身内ノリ”はやらない!
誰が聴いても楽しめるラジオに

ラジオ-セイアンデンパの初回放送から参加しているセンバさん。月イチの配信ながら現在23回を超え、プロのパーソナリティー顔負けの進行で番組を盛り上げます。
「始めの頃は、ゲストも全員先輩ですし、知らない方ばかり。どんな活動をされているのか、どんな作品を作っているのか下調べもして臨みましたが、どこまで踏み込んで話を聞いていいかも分からないし、模索していましたね。今は3年生なので知っている人が増えました。話したことはないけど、活動は知っているとか、twitterでフォローしている、なんて人も多いので1年生の頃のような進め方とは少し変わってきましたね」。

センバエミカとしてMCをするとき、取材を受けるときは、必ずオーバーオールを着用。「センバといえば、オーバーオールの人って思われています。普段、スカートとか履いていると分からないみたい(笑)」

とはいえ、1時間の番組を仕切るのは大変。センバさんが心がけていることを聞いてみると「初回の放送から大切にしているのは、”身内ノリ”にしないこと。学内のラジオ番組ですが、youtubeで配信しているので学内の学生、先生、職員の方以外にも受験生や一般の方が聴いてくださっています。中には『高校生の時から聴いています!』と言ってくれる人もいたりして。この前もずっとラジオを聴いてくれていた1年生がスタジオを見学に来てくれたのですが、私が知らない人たちも聴いてくれているっていうのは、ちゃんとそれなりに聴ける内容になっているのかなって、うれしかったです」。
それともうひとつ。「誰にでも伝わる言葉で話すということも心がけています。芸大生が当たり前に使っている専門用語がたくさんありますが、成安の人じゃなくても分かる言葉を使うようにしています」。
そんなセンバさんが、セイアンデンパの反響を感じるのは、番組でお題を出すと返してくれる人がいたり、恋愛相談などがやって来るとき。「ああ、聴いてくれてるんやぁって、しみじみと思います」。先生や職員の方に『その声はラジオの人だね』と、言われたこともあるとか。ラジオが大学の名物になっている証拠です。


ゆる〜いノリが人気の秘密?
個性があふれるコーナーも

セイアンデンパは、ゲストトークのほか、2〜3つのコーナーで構成されています。実際にどんな風に番組づくりが行われているのか、みなさん気になりますよね? 
「学内にあるスタジオで収録をして編集、配信するという流れです。ゲストのチョイスや進行については、私が『P』と呼ぶプロデューサーが、大まかな用意をしてくれます。ゲストには私たちが使用する台本と同じものを送って確認してもらっています。『成安の魅力を広める』がラジオのテーマですが、非公式の番組なのでゆる〜く楽しく進めています(笑)」。
また、番組ではゲストトークだけでなく、個性派揃いの学生が担当するコーナーにも注目です。「古生物の復元をしている成安生が骨にまつわるエピソードを語る『へたかの1日1骨』や、成安ラブを思いっきり語ってもらう『おおにしゆきのゆきゆきコーナー』、料理上手な助手さんが教えてくる『今日の晩ごはん』。濃い内容でちょっとマニアックだけど、めちゃくちゃおもしろいですよ」。どれも耳と好奇心をくすぐる内容です。まだ聴いたことがないという人はすぐにcheckを!


楽しさも難しさも。
MCとしての向き合い方

ラジオMC歴約2年のセンバさんに番組づくりの楽しさや醍醐味をたずねてみると…
「学内の友人や知り合いの制作のことなど、活動に関する深い部分って、詳しく知らないことがほとんど。『この人にはこんな側面があったんや』と驚くこともあります。友達だと恥ずかしくて話せないような真面目な話もラジオの場だとできるんですよね。それと、ラジオがきっかけでいろんな人と知り合えることも、MCをやっていて良かったなあと感じる部分です」。
反対に難しいこと、大変なことは「『受け』の姿勢は難しいですね。初めて聞く話にも答えを返さないといけない。だから、私は分からないことは番組内でちゃんと尋ねるようにしています。知ったかぶりをしないと決めているんです。あとは、以前、オープンキャンパスの会場で流すために高校生をゲストに迎えたのですが、大学生相手ならば少し難しい質問でも答えてくれるけど、高校生には大変ですよね。だから、『うん』っていう返答から始められる質問を用意しました。ラジオでは、相手が返しやすい聞き方や話し方をするように気を付けています」。


この先どうなる?
セイアンデンパ!

今3年生のセンバさんがMCを務められるのは、あと1年と少し。センバさんの明るい声と元気なキャラがあってのセイアンデンパの今後はどうなるのでしょうか。
「センバがいる間は、続きます(笑)2代目のMCも発掘しないといけないですね。ただ、今が楽しいし、今後のことはこれから『P』と相談です。自分の将来に関しては、イラストとデザインの2つのスキルをきちんと身に付けて、デザイン関係の仕事に就けたらいいなぁと思っています」。
ラジオも気になりますが、MCで培ったコミュニケーション力を駆使して働くセンバさんもとっても楽しみです。

『ラジオ-セイアンデンパvol,023』2019年9月30日 収録分


ラジオ-セイアンデンパ

日本最大の湖の畔にある成安造形大学の非公式ラジオ。ブロードキャティングスタジオから毎月末に配信中!MCセンバエミカが個性溢れる芸大生ゲストとビートを刻む。


ラジオ-セイアンデンパ ウェブサイト

(リンク先のサイトは大学公式サイトではありません)


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