INTERVIEW
やるべきことを、やっていく。
どんな状況も”なんとかする”映画制作の現場
映画が好きだけれど、自分には撮る技術がない――。
どうしたら映画をつくる仕事に携われるのだろう?
学生時代、そんな想いを抱いていた渡辺美穂さん。
現在は会社に属さず、フリーランスの制作担当として数々の映画製作に携わっています。
映画の制作担当(制作部)とはどんな仕事? 仕事を始めたきっかけは?
制作現場で奮闘する渡辺さんのこれまでを伺いました。
渡辺美穂さん
映画制作部(フリーランス)
1988年広島県尾道市生まれ。2009年にビデオ・放送クラスを卒業。現在はフリーランスの制作担当として、映画製作の現場に携わる。これまで携わった作品は『デンデラ』(天願大介監督/2011)、『モテキ』(大根 仁監督/2011)、『海街diary』(是枝裕和監督/2015)、『万引き家族』(是枝裕和監督/2018)など。
映画の撮影場所(ロケ地)を見つけ出し
作品のベースをつくる制作部の仕事
会社に属さず、フリーランスとして映画製作に携わる渡辺美穂さん。これまで『モテキ』(大根 仁監督/2011公開)や、第71回カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞した『万引き家族』(是枝裕和監督/2018公開)など、数々の作品に参加してきました。
映画製作の現場には様々な役割がありますが、なかなか裏方の仕事を知る機会はありません。渡辺さんが担当するのは「制作部」と呼ばれる部門。ロケーション撮影に関連する仕事を主に担当し、作品のイメージに合うロケ地を探したり、撮影許可を取ったり、撮影がスムーズに進むよう見物人の誘導をしたり、宿泊の手配をしたりと、仕事の幅がとても広いそうです。
「制作部は製作がスタートして早い段階から動き始めます。制作部には、予算を含めて全体的に管理する『担当』と、主にロケ場所を探す『主任』、弁当手配やスタッフパスなど、現場で必要なものを用意する『進行』の3つの役割があります。私も最初は『進行』から現場を学んで、現在は『主任』のポジションです。仕事の内容は、まず台本を読んで、例えば”学校”が出てきて、部室や体育館の描写があれば、当てはまる高校や中学校を探します。監督がイメージする学校は、進学校なのか? 公立校なのか? 田舎の学校がいいのか? 都会の学校がいいのか? と想定しながら候補地を探して監督にプレゼンします」
「制作部」は、作品のベースとなる撮影場所(ロケ地)を探し、撮影が行えるように下準備を行う仕事。渡辺さんが参加する作品の場合、撮影が始まる2ヶ月前から準備を行い、その後1ヶ月をかけて撮影することが多いそう。
「場所の雰囲気がイメージに合っていても、撮影には色々な条件も必要になってきます。映像の撮影だけでなく、録音も一緒に行うので、工事現場が近くにあるとダメですし、機材などを搬入するために十数台の車が動くことになるので、駐車場所を借りる必要もあるんです」
2ヶ月をかけて準備をし、無事に撮影がスタートしてからも、制作部の仕事は撮影が終了するまで続きます。
「ロケをしていると近隣にお住まいの方に『音が気になる』『照明がまぶしい』と指摘されることもあるので、そういったときの対応をしたり、私有地など立入禁止の場所をスタッフに伝えたりします。現場に入ると、撮影する場所やその地域の方々と現場のスタッフをつなぐ役割を担います」
どんな状況でも”なんとかする”。
ロケーションが脚本に影響することも
ロケ地は作品の設定や、世界観を構成する重要な要素。映画を観ていると、本当にその場所で登場人物たちが暮らしているようにしか見えません。一体、どんなふうに撮影場所を探すのでしょうか?
「例えば、是枝裕和監督作品『万引き家族』の場合、家の中のシーンはセットで撮影することが決まっていたんです。ただ、『家の外(外観)はロケーションでやりたい』という監督の希望があって。平屋のイメージだったので、不動産屋で探したり、Google mapの航空写真で『ここは平屋なんじゃないか?』と思うところに足を運んだり、古い住居が建つエリアをとにかく歩いたり……。それで、監督にロケ地をプレゼンする前日に、ようやく見つけたんです。もちろん勝手に撮影できないので、家主さんを調べて交渉して、ギリギリ、プレゼンに間に合いました」
脚本に合わせてロケーションを探すことが多いものの、監督によっては、ロケーションが脚本に大きく影響する場合も。例えば、2020年1月に公開された『風の電話』(諏訪敦彦監督)は、台本ではなく、簡単な設定だけが書かれた10枚ほどの資料をもとに、ロケ地のイメージを探っていったのだとか。
「『風の電話』は、岩手に住む女の子が東日本大震災で被災し、叔母の家で暮らすことになるんですけど、そこから自分の故郷を目指すロードムービーなんです。限られた予算ではありましたが、監督の意向で自然災害の被害を受けた場所で撮影することになりました。色々な地域が候補にあがるなかで、広島県呉市で撮影することになり、東京でセットを組んで撮影する予定だったシーンもロケで撮影し、広島から岩手に向かうストーリーになりました」
渡辺さんが仕事を「楽しい」と思える瞬間は、作品が世に出てからだと言います。
「どんな状況でも”なんとかする”のが仕事なので、製作している間は毎日無事に撮影ができることしか考えていません。楽しいと思えるのは、作品が公開されて『いい仕上がりだな』と思ったり、話題になるときですね」
映画をつくる仕事に携わりたい。
偶然チラシで知った「制作部」の存在
渡辺さんが制作部の仕事をスタートさせたのは、大学卒業から2年後のこと。映画への興味は高校生の頃から持ち始めたそうですが、業界に関する知識も、ツテも、まったくなかったと言います。
「高校生のときも、大学生のときも、映画は全然詳しくなかったです。本当に軽い興味だったので、業界のこともあんまりわかっていなかったですし。映画製作のなかでプロデューサーと監督の役割の違いも、理解していなかったほど(笑)。業界のあれこれを知ったのは卒業してからです」
そんな渡辺さんが制作部の存在を知ったのは、大学生時代。京都シネマに置かれていたチラシに「映画制作ボランティア募集」が掲載されていたのが目にとまりました。
「冨樫 森監督の『天使の卵』(2006公開)という作品だったんですけど、制作のお手伝いは美術セットを運んだり、見物人を誘導したり。映画をつくる”何か”をしたいけど、自分には技術がないし……と考えていたところだったので、制作部の存在を知って、なかなか面白い仕事だなと思ったんです」
映画製作の現場は会社に属さず、フリーランス(個人)で働く人も多い業界。とはいえ、まだ現場を経験していない新卒がいきなりフリーで仕事をするのは困難です。
「周囲の”就職しなくちゃ”という空気もあり、とりあえず就職することで東京に出ようと考えました。webの制作会社だけれど、社長の映画好きが高じて映画の製作もしている会社に就職し、何もわからないまま小道具を準備したりしていました。入社したときにちょうど映画製作の準備をしていて、それが終わったのが研修期間が終わるタイミングだったんですけど、製作が終わると同時に退社しちゃいました。やっぱり、webの制作会社なのでずっと映画をつくっているわけではないですし、自分はがっつりと映画の現場に携わりたいなと思ったので」
退職した後、映画館でアルバイトをしながら映画のエンドクレジットに出てくる制作会社に電話をかけ、「制作部で仕事がしたい」とアピールしていた渡辺さん。映画館でアルバイトをする生活が1年ほど続いた頃、ある制作会社に連絡したところ「今準備している映画があるから」と、『デンデラ』(天願大介監督/2011公開)の現場を紹介してもらいます。
「はじめて参加した現場が、山形県の雪山でのロケ。ただひたすら雪かきをするのが、最初の仕事でした。そのときに一緒に仕事をした方が次の作品『モテキ』(大根 仁監督/2011公開)の現場を紹介してくれて、道がわからない都内をあちこちぶつけながら運転していましたね(笑)」
学生時代の自分に
声をかけるなら
「いろんな経験をしたほうがいい」
とにかく制作の現場に飛び込み、はじめての経験をイチから積み上げていった渡辺さん。作品に参加することで横の繋がりが生まれ、気がつけば年間通して3本ほどの作品に携わるようになり、まもなく10年目を迎えます。
「この業界はフリーランスの人が多くて人手不足なので、人を探していることが多いんです。『とにかく来て!』みたいな(笑)。ただ、私もそうだったんですけど、どうやって業界に入るかがわからないですよね。入ってしまえば、横の繋がりができるので、私の場合は一度参加させてもらった制作チームに、別の作品で声をかけてもらうことが多いです。もちろん、会社に属している人もいますが、現場でやることは組織に属しても、そうでなくても変わりません」
制作部の仕事をはじめて10年、「一生懸命やることは、はじめた頃と変わらない」と話す渡辺さん。学生時代、映画が好きだけれど、カメラや照明など”撮る技術”のない中、どうしたらいいかわからなかった自分にアドバイスをするとしたら?
「制作部の仕事を始めた頃は、やればやるほど、どんどん自分のスキルになっていったので、早くはじめたほうができることも増えていくんだなと感じました。だから、『いろいろやったほうがいい』って言うかもしれません。大学は楽しかったですけど、私は大学時代、そんなにいろんなことをやっていたわけではないので……。ワークショップでも映画祭でも、何か参加できる場があれば、どんどん色々なことを経験したほうがいいのかなと思います」
2019 12/02